【前回の記事を読む】織田信長は経済力で天下を取った!? 鉄砲さえ持てば、足軽でも武士を倒すことができるという戦争観は、経済力が鍵

織田信長

織田信長 1

日本では通貨として皇朝十二銭とよばれる銅銭を鋳(ちゅう)造してきたが、それ以降は独自の通貨を鋳造することなく、中国からの宋銭や明銭を通貨として使用してきた。しかし、長期の使用で欠けた鐚(びた)銭、焼け跡から掘り出された焼銭など粗悪な銭と、明から輸入したばかりの良銭が混在していたが、良銭は退蔵されるようになった。

通過の減少は商業活動が停滞する。室町幕府は良銭の退蔵を禁止した(悪貨は良貨を駆逐する。グレシャムの法則)。

しかし、市場まで目は届かず効果はなかった。信長はこの状況を見て撰銭(えりぜに)令を発布した。細かい内容は省略する(当時の言葉で意味不明瞭なものもある)。法律の趣旨は良貨と悪貨(いろいろと種類がある)の交換比率を定めたもので、これによって通貨の全体量が豊富になり、商業活動が活潑になる(近代のマネタリズムにも通じる)。

信長はスケールの大きい英雄だが、一面随分と細かい所まで目の届く、いわゆる「目端の利く」男だったようである(マネタリズム――通貨供給を増加する)。

こういった面だけでなく、信長は毛利水軍との戦いで、櫓(やぐら)に鉄張りをした大船を建造している。矢でも鉄砲の玉でも防げただろう。

ほぼ同時期のレパントの海戦(1571年)キリスト教国とオスマン帝国と海戦でも、それより後のトラファルガルの海戦(1805年)イギリス艦隊とフランス艦隊の戦いでも、船に鉄張りはしていなかったようだ。信長の斬新なアイデアと云うべきだろう。

九鬼嘉隆は、信長の命で鉄板張りの大船六隻を建造し、石山本願寺へ兵糧補給にきた毛利水軍を、木津川口で撃破した。