かくして10月13日に出発した一行は、ロンドンを皮切りに、パリ、ベルギー、ニューヨーク、ワシントン、ボストンなどで10公演を行い、合間には各国のテレビ出演もし、11月9日に帰国する。
超過密スケジュールの〈トランス・アトランティック・ツアー〉という名のワールドツアーが、YMOの日本での1980年における大ヒットに繋がる。
このワールドツアーで、特筆したいことは村井と川添による徹底的なYMOのブランド化である。
つまり東洋の貧相なアーティストではなく、ワールドクラスのバンドであることをアピールするため、移動費や宿泊費などに惜しみもなく予算を割いた。
これは川添象郎の父である浩史の信念である。
「村井は、この全行程においてYMOの飛行機はファーストクラス、移動にはリムジンを用意した。これは10代の後半に知遇を得たキャンティのオーナー川添浩史の影響があった。
(中略)『日本は世界地図で見ると極東の小さな国で、そんな小さな国から来た演技者たちが安宿に泊まっていると貧相に見られる』と、村井は聞かされたことがあった5」
若い頃からフランスで芸術家と交流を深め、日本舞踊『アヅマカブキ』の海外公演におけるマネージャーとして、欧米のショウビズに飛び込んだ川添浩史のDNAを、川添象郎と村井邦彦が引き継いだのだ。
大人数の音楽雑誌記者への同行費用も接待として、村井がある程度出費したであろうことは想像に難くない。
どの業界でも業界誌記者やライターにいい記事を書いてもらうよう、会食やゴルフなどによる接待は当然ある。海外ロケ同行となると接待費は高額であろう。
村井、川添のこうしたプロモーションはグローバル展開に成功したと言える。
しかし、村井や川添がお膳立てしたこのVIP待遇と高額なプロモーションに対してYMOには戸惑いがあった。
1――吉村
2――プロモーションビデオ(PV)はミュージックビデオ(MV)とも呼ばれるが、意味はほぼ同じため本論文ではMVに統一する。
3――吉村
4――『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』
5――松木
次回更新は4月7日(火)、20時の予定です。
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