5月に完成されたセカンドアルバムはそのライブの10日後、9月25日に発売された。
『テクノポリス』『ライディーン』など誰もが知る曲を収めたアルバムタイトルは『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』である。のちにミリオンセラーとなるアルバムだ。
「初日の売り上げは1800枚と、まだまだ控えめな数字だったが、それでも散々だったデビューアルバムに比べれば桁が違う売れ行きだった。
(中略)決定的となったのは、間髪を入れずに発表された10月からの初のワールド・ツアーが発表、実行されたことだった。
こちらも大勢の報道陣を引き連れたツアーとなり、その報道が日本で行われるたびにイエロー・マジック・オーケストラの存在は大きくなっていった3」
そもそもアルファにはYMOのワールドツアーという大きな構想はなく、1978年12月にデビューアルバムのアメリカ発売が決定した時点での社内での決定事項は、79年秋にLAとNYで海外公演を行うのみという予定であった。
しかし、グリーク・シアターでの反応をみて、アメリカだけでなく欧州も含めたワールドツアーをやってみないかとA&Mから提案があり、規模が膨らんだのである。
細野もアメリカだけではなく世界を見据えていた。YMOが創り出す新しい音楽をグローバルに広げたいと考えていた。
「これはファッションの感覚と似ている。つまり、前衛ファッションみたいなものを、日本の人全部は着れないと思うんだ。
だけど、世界各国には、そういうものを好む人が、一定の数ずつ、いるはずだ。そういう人を対象にする4」