正直に言えば、私は心底子どもが欲しかったわけじゃなかった。
というより、「子どもにはまったく興味がなかった」というのが本当のところだ。
負け惜しみではなく、赤ちゃんを抱いているお母さんを見ても羨ましいと思ったことは一度もなかった。
自分が赤ちゃんを抱いている姿も全くイメージ出来なかったのだ。
「イメージ出来ないことは現実化しない」
この願望実現ルールを知っていたにもかかわらず、子育てをしている私の姿は、どこを探しても見つからなかった。
ではなぜ、高額な費用と時間と自分の身体を犠牲にしてまでこんな不妊治療をしていたのかというと、再婚したばかりの一回り以上年下の夫への〝言い訳〟が欲しかったのかもしれない。
とにかく、私はこのわずらわしさから解放されるのだ。
コウノトリは来なかった!
「最後の審判」は下りたのだ。
ヴァチカン宮殿に隣接するシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画のことを、ふと思い出した。
天井には同じくミケランジェロによる「天地創造」もある。
イタリアへは、もう十数回旅をしている。
ローマに行くたびに私はここを訪れ、それこそ首筋が痛くなるまで巨匠ミケランジェロと対話したものだ。
「最後の審判」は、死者が生前の行いによって、天国行か、地獄行かをキリストによって裁かれるという宗教的な意味合いの深い大傑作だ。
そこには、天国へ昇天する人たちと、地獄へ堕ちていく人々が描かれている。
普通に考えたら、医師から〝地獄行の切符〟を渡されたも同然だったが、私はなんとも晴れやかな安堵感を覚えた。