「私がお見舞いに行ったとき、糸さんは病室で鉛筆画の自画像を描いていました。すごく上手で素敵だったので見せてって、でも隠すものだから取り合いになったのです。糸さんはまだ途中だからゴメンねって、見せてくれませんでした。いつもの糸さんなら見せてくれるのに……変なのです。絵のことからも話題を変えてしまうのです」

新島は頷いて続きを促す。休み時間は短いのだ。

「良治はどう? 皆に迷惑かけてない? 皆さんと仲良くできている? と聞くから……良治っていうのは黒沼さんのことです」

「わかりますよ、で何て答えたの?」

「良治さんは元気です、皆とも仲良くやっていますって。糸さんは良かったって言っていましたけど、淋しそうに見えました。黒沼さんが皆に馬鹿にされて、虐められていたのを知っていたような気がしました」

「そう、千葉さんは感性が豊かだね。それで?」

「糸さんは川の音を聞いたり、人の声を聞いたり、ヒコーキの騒音を聞いたり、良治には音を聞いていてほしいって……私、意味がわからなくて」

千葉さんは一言一言思い出すように話している。

「だから私、そういう詩みたいのはわからないから、良治さんは昼休みにカセットデッキで音楽とか聴いていますよって……。そしたら糸さん嬉しそうに、あのカセットデッキは私があげたものなのって笑っていました。そして二日後に亡くなりました」

音を聞いていてほしい。重度の無口に対して治療のような意味があったのか、何かしらの意図があったのだろう。姉がプレゼントしたカセットデッキ、弟はそれを会社にまで持ち込んで大切にしている、心の支えのように……。固い結びつきの姉弟の有りさまが伺われる。

「糸さんのお葬式のとき、黒沼さんが遺影を持って皆の前に立っていました。その遺影は写真ではなくて鉛筆画の自画像でした。糸さんが病室で描いていた美しい自画像でした」

「詩のようなだね」

「私……」

「何ですか?」

「新島さんが黒沼さんのことを『黒沼さん』って呼んだときから、この話を新島さんに聞いてもらおうって思っていました」

聞き終わっても心に残る話だった。遺影を通常の写真ではなく鉛筆画の自画像にする。それは誰が決めたのだろう。それは糸さんの遺言であった気がする。

糸さんは自分のお葬式の光景、自作の遺影を弟が持つ光景を想像していたのだろう。黒沼糸という女性は病室で自分の遺影を製作していた、だから千葉さんに見せるのを憚った。哀しい話だ。

次回更新は3月28日(土)、20時の予定です。

 

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