ポップ的であることとはどういうことか、哲学者・今村仁司は当時、左記のように述べている。
「現実の社会的・文化的状況に対して過敏なまでに反応する精神は、優れてポップ的な精神である。(中略)臨機応変に既存の文化装置を取捨選択して、現実のなかで繰り返し新たに生起してくる怪物的諸現象(不気味なものといってよい)と取り組むことこそ、ポップ的と敢えていわずとも、思考と哲学一般の真髄であろう1」
YMOの精神というものも、まさに今村のいうポップ的な精神である。
さらに、YMOを結成した細野の音楽性〈ポップ〉について社会学者・宮台真司は以下のように述べている。
「ポップスは諧謔とは別に[オシャレである/オシャレでない]という差異に結びつけられる。
(中略)細野は外国人から見たステレオタイプの日本人像(中略)をあえて演じるという『シャレ』と、ウォークマンを通じて猥雑な都市を『テクノポリス東京』として読み替える『オシャレ』とを組み合わせたYMOを結成2」
〈シャレ=オシャレ〉という概念はYMOを検証する上で重要なキーワードの一つである。
この時期のサブカルエリートは「自分だけが知っている新しくてオシャレな何か」を見出し、誰よりも早く手に入れ、拡散することで、他者との差異化を行った。
ニューウェイヴ・ポップカルチャーの要素として、〈ポップ=新しくてオシャレ〉と〈早い=時代を先取る敏感さ〉が定義される。これがサブカルエリートのプライオリティとなる。これにさらに2つの要素が加わる。
まずは〈ポップ=アート〉。
フランスの哲学者ロラン・バルトは「ポップは芸術である。(中略)ポップは事物の本質の芸術である。《存在論的》芸術である3」と述べる。
ポップアートはアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインなど60年代のアメリカのポップアートが有名である。ポップアートを音楽に紐づけて語る評論は少ない。
しかし、大量生産にアート性を見出すのがポップアートであり、ロックなどのLPレコードジャケットのデザインを手掛け、その大量生産に魅了されたポップアーティストは少なくない。
代表的なのはアンディ・ウォーホルによるヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコのバナナのジャケットである。
レコードが売れれば売れるほど、自身の作品も大量生産となり、購入した各家庭に享受される。これがポップアートのダイナミズムである。
1――今村仁司「ポップ的理性のために」『現代思想 1984年6月号』
2――宮台真司 石原英樹 大塚明子『増補 サブカルチャー神話解体』
3――ロラン・バルト、沢崎浩平訳『現代思想 vol1.12-6』
次回更新は3月30日(月)、20時の予定です。
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