【前回の記事を読む】社内検診の際、部下が他部署の列に並んでいた。その理由聞いてみたが…「何もおかしなことはしていません」

おごそかな挨拶

黒沼とその姉、光と影のような姉弟の対比が想像できる。軽口のつもりで言った。

「会ってみたいなー、美人のお姉さん」

近藤は顔前で手を合わせ、声を潜めた。

「亡くなりました、去年の今頃。何とかいう女優さんと同じ急性の白血病」

「そんな……」

言葉を失った。聞き役の新島なのだがそれでも、胸にポッカリ穴が開いた気分になった。

今朝の夢に登場した美しい人と黒沼のお姉さん、いつの間にかダブらせて考えていただけに希望の足場を失った気がした。

母親代わりの優しい姉が亡くなったとき、無口な弟はどんな言葉で姉を見送ったのだろう。心配の絶えない弟を置いて姉はどんな気持ちで旅立ったのだろう。会話の途絶えた現場事務所、四名はそれぞれの気持ちの中で冷めたコーヒーを飲んだ。

一人で事務所に残った新島は、さきほどの会議内容を思い返している。職場の問題点をあぶり出すことができた。班長さんたちの人となりも知ることができた。意義のある会議だったのだが何か釈然としない。

黒沼が洗浄機に妙な仕掛けをしていると決めつけた前任の係長は、どのような人なのか。調査もせず、証拠もなく、勘だけで黒沼が悪事を働いていると断じたその人は、銭形平次の話の中に出てくる万七親分が頭に浮かんだ。

簡単に下手人を挙げてしまう、あのキャラクターだ。粗っぽく容赦のない断定には冷たさも感じられる。友人になりたくないタイプの人だ。

一方、黒沼良治にはある種のシンパシーを感じている。本来、新島は劣等感と疎外感を隠し持って生きてきた。だから何となく黒沼の気持ちがわかる気がする。君は一人ぼっちではないよ、私が見ている……そんな兄貴的感情も芽生えている。

洗浄機で行われていることを明らかにするのは怖い。何が出てくるかわからないからだ。

しかし疑惑を掛けられたまま、一方的に罪人にされそうな人がいる。自分は何をすべきか? そう考えていたときに「あれ?」と思うことが会議中に起こった。新島の前に置かれたペーパーが不自然に落ちたのだ。そして千葉さんは含み笑いをしたように見えたのだが……こちらの考えすぎなのか? 何かのサインだったのか……。

確かあのときは、黒沼をどう懲らしめるべきか対応を迫られていた。

『黒沼のこと、どうしますか』

強い調子で問われ、答えに窮し、新島は拾い上げたペーパーの文字をそのまま棒読みした。

『洗浄機のこと、勉強します』

トンチンカンな会話をした。質問に対しての答えになっていないのだから……。しかし、今思えばそれで良かった気がする。一方的に罪人を作らなくて済んだのだから……。

不自然なペーパーの落下から導いた結論だったが、それで良かった。今一番にすべきこと、洗浄機を勉強する。憶測ではなく洗浄機の故障原因を明らかにする。それこそが一方的に裁かれようとしている人にしてやれることではないか。及び腰だった新島は少し前向きになった。