【前回の記事を読む】雑穀が主食だった岩手県。「雑穀は貧しさの象徴で岩手の後進性を示すもの」と言うが、本当か?
まえがき
今、世界で地球温暖化が加速している。干ばつ、山火事、豪雨……。食料危機。国際紛争の拡大が拍車をかける。外国に食料や石油や鉱物資源を依存する日本が外交の断絶にあい、輸入が途絶えれば食料も化学肥料も飼料も終わりである。物価高どころの話ではない。食料の安全保障。何があるかわからない混沌とした時代に生きなければならない。
化学肥料のリンやカリ資源は外国に依存する。窒素も化石燃料の産物である。目先の収量を求めて使う化学肥料で土壌が悪化し、病害虫に悩まされる現代の農業。だからこそかつての伝統的な農業に学ぶところがある。
持続可能な農業の原点がかつての岩手県北部と北上山地にあった。二年三毛作といって主食のヒエや麦、大豆が作付けされ、土地を最大限生かしながら輪作によって連作障害を防ぐ技術が受け継がれた。
化学肥料の乏しい昔、人糞や家畜の糞、山にある草、収穫物の残渣など自然のものを無駄なく生かして肥料にした。健康な土の力を引き出す農法があった。
雑穀をめぐる食と農の営みは現代の目で見ると驚くほど理にかなっている。貧しさの象徴とされ、後進性の代名詞でもあった雑穀の食と農は不確実性の時代にあってむしろ道しるべとなるのではないか。
海があって山がある。海が雲をつくり、雲が雨と雪を降らせ、土に水がしみこみ、沢からやがて川となって海に注ぐ。その循環がすべての命を保つ。その輪に動植物、あらゆる生物が入る。もちろん人間も。
生物の排泄物や廃棄物に微生物が働き、土に還り、次の世代の動植物を育む。この自然の命の循環の輪にかつての農業と暮らしが入っていた。将来にわたって循環を保つ持続可能な社会づくり。それぞれの地域で自立できる循環の輪を養いたい。