【前回の記事を読む】岩手・北上山地の人々と雑穀…現代から見れば「粗食」でも、おいしく食べる知恵があった。それは…山内家のルーツは大川地区最西部の釜津田で、大広に移り住んだ。山仕事だけでなく耕地を求めたためだ。昭和6年。戦中戦後と雑穀栽培が続けられ、生計を支えた。といっても雑穀はお金にならない。自家消費するものだった。コメは戦後の配給制度で一般家庭に入る。コメは買って食べるものだった。雑穀は傾斜地…
[連載]いざという時の命の糧
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評論『いざという時の命の糧』【第4回】大谷 洋樹
歳を重ねても、コメを流し込む癖が抜けない…だが、行儀の問題ではない。子供の頃に食べていた"あるもの"は、箸でつまむことすらできず…
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評論『いざという時の命の糧』【第3回】大谷 洋樹
岩手・北上山地の人々と雑穀…現代から見れば「粗食」でも、おいしく食べる知恵があった。それは…
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評論『いざという時の命の糧』【第2回】大谷 洋樹
地球温暖化と国際紛争の時代に――日本が“食料が消える国”にならないためのヒントは岩手にあった
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評論『いざという時の命の糧』【新連載】大谷 洋樹
雑穀が主食だった岩手県。「雑穀は貧しさの象徴で岩手の後進性を示すもの」と言うが、本当か?