愛欠乏盗癖(開業後にもあった話)
盗癖のある子の声なき声に耳を傾けることがいかに難しいかを痛感したのは、学校の教員を辞め、こばと塾を開業してからである。
その時も女児の盗癖問題に直面したが、声なき声を聴くことができず、女児の家庭が辿った結末はつらいものだった。
自前で始めた治療教育は口コミだけだったが、通う子どもが増え始めてきた頃のことだった。
開業前、臨時の教員としておひさま学級を担任したのだが、その次に赴任した学校では通常学級の担任になった。
その時のクラスの男子生徒のお母さんから、夫の連れ子の娘が知的障害なので療育を受けさせたいと電話連絡があった。その担任当時に何回かお母さん(継母)とは会ったことがあった。
お母さんは二人の男の子の兄弟、お父さんは一人の娘連れだった。増えた家族のため、新築の大きな家も建てていた。
当時は療育希望者が増えていて順番待ちだったが、担任した生徒の妹だったのですぐに受け入れた。継母は夫の連れ子の娘の面倒をよく見ていて心配している話しぶりだった。
彼女は無口で語彙が乏しかった。療育を開始し、学習は学年よりレベルを下げて手作り教材で教えていくと、少しずつではあったが伸びていった。
一年ほど経って彼女が高学年になった頃、継母から彼女の盗癖について相談を受けた。
欲しいわけでもないような釘だとか金具類を持ち出してはすぐ見つかり、店から連絡が来るのだそうだ。
父親は娘を溺愛していた。継母は懐かない連れ子の世話はよくしていたが、気持ちを聞き出そうという感じはなく、彼女も自分の気持ちを言葉にして言えるような語彙力はなかった。
万引きの度にきつく注意はしていたようだが、娘は問い詰めるとすぐに黙り込んでしまうと言っていた。
盗癖相談からしばらくして、夕方遅く娘が行方不明になったと電話があった。私には彼女が行きそうな所の心当たりがなかった。
家出をしたのだろうか、と思い始めた数時間後、見つかったと連絡があった。
彼女は自分の家の前の道を通り過ぎ、ただ真っ直ぐに進み、どんどん人家から離れて山へ続く道を歩いていた所を発見された。
家には帰らず、家の前を通り過ぎ、うつむき加減にひたすら歩いている彼女の姿を想像するとやるせなかった。
彼女の盗癖は、増えた家族の中で居場所がなく、父親の愛情を必死に求めていたのだろうか。釘などの万引きはそのサインだったのだろうか。
それから一年ほどして両親は離婚した。この盗癖の時も声なき声を聴くことはできず、無力さを思い知らされた。
盗癖は家庭・家族を巻き込むあまりにもデリケートな問題だ。