【前回の記事を読む】「羊飼いは狼より泥棒を恐れている」ほど物騒だった14世紀――現在はあちこちで"にゃんこ"がみられる街・カプラーニカ

 

4 トゥーシアの中心地 ヴィテルボへ

ヴェトラッラ

ヴェトラッラ市役所。正面右はヴェトラッラの旗。白地に赤十字のイングランド旗の上に市章が描かれているが、これは1512年、教皇ユリウス2世がヴェトラッラを英国王ヘンリー8世に与えたため、一時期イングランド領になったことに由来する。

ヴェトラッラは、ストリやカプラーニカと同じく丘の上に作られた街である。

中世には教皇領に属しており、1145年、教皇エウゲニウス3世は、この地から第二次十字軍を呼びかけた。

旧市街の外れには、13世紀に再建された聖フランチェスコ教会があり、フランチジェナ街道を行き交う巡礼者のために、今も宿を提供している。

左:聖フランチェスコ教会 右:教会床の装飾
脇の入口を入ってすぐ右手にあるボックスに1ユーロコインを入れると、教会内の 照明が点灯する。光に照らされたコズマテスコ様式の床が美しい。

フォリアーノ山麓の広大な森林は、ヴェトラッラの住民に豊かな自然の恵みをもたらした一方、北のヴィテルボと森の所有権を巡って争いが絶えなかった。この争いはなかなか決着しなかったが、ヴェトラッラ側が、少なくとも1368年以降、毎年5月8日に森林内の庵で大天使ミカエルを奉る宗教儀式を行っていたことを立証したため、所有権の軍配はヴェトラッラ側に上がった。

それ以降ヴェトラッラは、何百年もの間、このフォリアーノ山麓で、この地の所有権を証明する権利書を更新する儀式を毎年行っている。2本の樫の木の前で行われるこの儀式は、「木の結婚」と呼ばれており、今ではヴェトラッラ市長以下、市民が参加する楽しい祭りとなっている。

コミュニティバスのバス停。丘の上にあるヴェトラッラでは、コミュニティバスが多くの市民の足として活躍している。

聖ヴァレンティーノとイラリオの墓

ヴェトラッラの街からヴィテルボまでは約16kmある。現在のフランチジェナ街道は、ヴィーコ湖寄りにサン・マルティーノ・アル・チミーノの街を通る東寄りのルートとなっているが、筆者が歩いたのは西寄りの旧ルートだった。

途中、フランチジェナ街道のスタンプを門の前に設置して、誰でも自由に押せるようにしている家を発見。このような場所に巡り合うことは珍しく、スタンプ好きとしては心憎い気配りに感激した。

スタンプを備え付けている家の壁。
フランチジェナ街道を描いた素焼きが飾られていた。

ヴィテルボに近づくと、聖ヴァレンティーノとイラリオの墓がある墓地に到達。この2人は303年から305年の間に古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝による迫害を受け、この地域で最初に殉教した人物とされている。

聖ヴァレンティーノとイラリオ墓地の入口。墓地内には地下にカタコンベ(共同墓地)があるようだ が普段は入れない。すぐ北側には、「教皇の温泉」と呼ばれる有名な温泉施設がある。