【前回の記事を読む】知らせを受けてすぐに遺体を引き取りに行くと、「衛生上の都合で既に火葬した」…納得できない。見せられない理由があったはず。

惰走は駛走に変わる

工藤がシノギを考案したことで、状況に変化の兆しがあったのも間違いない。馬券購入代行業を継続させることができれば、噂を聞きつけた連中が加わり、一家の規模は大きくなるだろう。明治二十二年には東海道本線が神戸まで繋がる予定になっている。横浜駅に隣接する野毛は、大きく発展する可能性を秘めていた。

後のことは工藤に任せて、新地組と対決することとなった暁には、自分が矢面に立つ。それが、役立たずの自分にできるせめてもの報いであるはずだ。秋競馬の最終日に、工藤が手入れを切り抜けるのを目にしたとき、浅田の心は決まっていた。

山手競馬の日程は、一ヶ月ほど前に新聞で告知されるのが通例である。明治二十二年春の開催は、五月十日からの三日間となっていた。日程がわかると、工藤たちは本格的な準備に入る。

購入馬券の注文用紙は、競馬場に客として出入りして、個人のブックメーカーから馬券を購入していた日本人の話を参考に作った。

日付と競走番号、馬番を印刷した紙を用意し、注文を受けるときに該当する競走番号と馬番の上に印章を押す。印章の使用はその日限りとして翌日からは別のものを使う。そして、用紙に乱れや破れがある場合は引き換えを無効とした。こうすることで日付の確認間違いを避けられ、客の不正も排除できる。

開催日の数日前からは、桟敷席の下の注文所に泊まり込み、代貸以下総出で作業をする。そのはずだった五月七日の夜半のことだ。火事を知らせる手回しサイレンの音が聞こえて、眠っていた浅田は目を覚まし、戸外へ出て周囲を見回す。

火の手が上がっているのは南の方角で、高台のブラフ、または隣接する場所であることは間違いない。まさかという思いと、確かめなければという思いが去来して、後者が勝った。

早足で向かう最中、立ち止まって話をする人たちの会話が漏れ聞こえてくる。それらのことごとくが、まさかの事態が起こったことを示唆する内容でしかない。競馬場の正門前まで来たときには、腹を括らなければならなくなった。

現場では消火活動が続いている。しかし、手動のポンプで放水される水がかかっても、注文所から発生したと思われる火の勢いが衰える様子はない。まだ、周囲の民家には延焼していないが、このままではそれも危ぶまれるような状況にあった。

火の中心にあるのは注文所である。もしも誰かが中にいたとしたら、間違いなく命はない。浅田は集まっている群衆の中から子分らの顔を探した。しかし、見つけられない。

消防員数人でかかり切りとなっていた蒸気ポンプの用意が整うと、事態は好転し始める。始動に時間こそかかるものの、一気に鎮火するほどの性能が付与されているためだ。一気に放水された大量の水が、火の勢いを削いでいく。