そんな僕と隼人の会話が聞こえていたのだろう、雪野さんが心配そうな顔でこちらに視線を送る。僕はそれに気づかないふりをして、自分の発表の順番を待っていた。
「──では、次は黒田くん」
はい、と言って立ち上がり、雪野さんの方に気づくか気づかないかくらいの笑顔を向けてから、大きく息を吸い込む。
「『感謝』一年三組、黒田透。今日、僕の両親はここに来ていませんが、日ごろの感謝の気持ちを作文に書いてきました。いつも僕のことを大切に思い、支えてくれて──」
みんなと違って保護者が来ていないからか、普段だったら気恥ずかしくて言えない感謝を綴ったこの作文も堂々と読むことができる。
「──これからも感謝の気持ちを忘れずに、日々頑張っていきたいと思います」
拍手の中、一礼して席に腰を下ろすとほっとした気持ちもあったが、ほかのみんなのように喜んだり、感激で涙を流すお母さんの姿を見られないことにちょっとだけ寂しさを感じていた。
雪野さんはずっとそんな、いや僕とは比べものにならないほどの寂しさを感じていたのかと思うと、せつない気持ちが押し寄せてくる。
(でも、今日はこれでいいんだ)
「ではみなさん、保護者のみなさんに改めてご挨拶しましょう。起立」
『ありがとうございました』
大きな拍手に包まれたと同時に、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。みんなはそれを合図にお母さんたちの元に駆け寄っていくが、居場所がないような気がしてすぐに廊下に出ていくことにした。
「──嘘でしょ!」
複雑な気持ちで足を進めていると、急に腕を強く引かれて振り向く。僕の腕を引いていたのは雪野さんだった。慌てて追いかけてきた様子だ。
「絶対に嘘。急に忙しくなったのに、最初から作文に今日は来てないなんて書くはずないもん」
いつも小さく細い声で話す彼女のこんなに強い口調は初めてだ。まっすぐに目を見つめられて、ごまかせない雰囲気だということがひしひしと伝わってくる。
「……ごめん、でも気を遣ったわけじゃないんだ」
「お母さんに来ないでって言ったの?」
「ううん、教えてないんだ。今日が授業参観だって」
「…………」
「この前雪野さんの話を聞いてから今日のことを想像したんだ。そうしたらなんだかずっともやもやした気持ちがなくならなくて。でも、僕がそうしたくてしたことだから」
「……本当に優しいね」
小さくつぶやくようにありがとう、と言うと同時に彼女の瞳が潤んだのがわかった。でもこの前の放課後のような困った表情ではない。ごしっと手の甲であふれそうな涙をぬぐった彼女は満面の笑みでもう一度、今度は大きく「ありがとう」と言って教室に戻っていった。
次回更新は3月7日(土)、20時の予定です。
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