9 正しさ
ソビエト連邦の最後の指導者、ゴルバチョフ大統領が割と好きである。
ゴルビーさんは、「エリート意識が鼻につく」といった理由で、祖国では人気がなかった(諸説あり)。「酒好きのイメージで庶民的」といったエリツィン大統領の方が、国民は親しみを持ちやすかったらしい。
若い頃に読んだ本で、ゴルビーさんの言葉(どこかに掲載された新年の挨拶だったと思う)に感動した。「新しく感じることができるなら、それは新しく考えることができるということである。新しく考えることができるなら、それは新しく生きることができるということである」。
不明瞭なままインプットされているので、間違っていたらごめんなさい。聞くことができれば、見に行くことができるし、見ることでとても大きな情報を得られる。そのときに感動が伴えば、どんなに素敵な世界が広がっていくのだろう。
ゴルビー語録には、魅力的なものが他にもたくさんある。なにが魅力的かって? それは、言っていることが至極真っ当だからなのだろう。
先代の社長は、しばしば激しいものの言い方をする人だったが、いつも至極真っ当なことを言う人だった。「迷ったときは常識で考えろ」が口癖だった。
壁にぶち当たったときに「常識=客観的な正しさ」で考えることは案外難しい。ましてや集団で考えなければならない問題だったりすると、なおさら勇気がいる。
必要以上に相手の顔色を窺ってしまったり、状況をディスカウントして判断しがちである。
そして、そんなとき一番厄介なのは、むくむくと大きくなる「自分の正当性を主張したい心」である。
大抵そういう状況のときは、ふだんすんなりと入ってくる正しさや、真っ当な立ち位置が嫌いになる。
目の前の現実から逃げたり、相手の立場を考えず言い訳を主張したり、自分の都合に傾いた結果を招き寄せたくなってしまう。私は、「正しさ」は得意ではない。「正しさ」からも好かれているような気はしない。
正直なところ「正しさ」はとても怖い。目の前に来ると、嫌でも自分の弱さに向き合わなくてはいけなくなるような気がするからである。
面と向かえば卑屈になってしまいそうだが、それでも「正しさ」に強く憧れる自分がいる。できるなら正しい人でありたい、いつも正しくいられたらどんなにいいだろうと思う。とても難しいけれども、そうなるためには、もっと強くならないといけないんだろうけれども。
果てしなく遠く見える道のりに、思わずため息が漏れる。事務員さんが「またため息、癖ですよね、幸せが逃げますよ」と、目の前で笑っている。
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