【前回記事を読む】それまで聴いた第九交響曲とは次元が違う...! 私が「本物を聴いた」と確信した演奏
第1章 ベートーヴェンに思う
1 第九交響曲に聴く言葉の重み
ドイツ語の子音は音楽
それまで聴いたのとまったく違うもう一つの特徴は合唱におけるドイツ語の発音である。とりわけ子音の発音の強さが音楽のめりはりを強調する一つの要素として機能していることだ。ドイツ人だからドイツ語がうまいということとは次の二つの意味で違う話である。
ドイツ語がまったく解らない人にもこの子音の強さは、たとえばバッハの無伴奏ヴァイオリン曲の重音演奏のような音楽的なアクセントとして訴えかけてくる。もうひとつは、子音のアクセントがシラーの詩とベートーヴェンの音楽との結節点となって両者の思いを結びつけていることだった。
日本で第九が演奏される場合、音楽大学の声楽科の学生達が動員されることがある。その声は若々しく、時に強烈だが、ズシッと胸にくるものが希薄である。
ベルリンのコーラスは平均四〇歳ぐらいか、そのがっちりとした中年の胸郭から出るドイツ語の発音は実に豪快だ。とりわけKußとかMußとかの発音が強烈だった。
マエストーソの合唱の後半、“Ihr strüzt nieder, Millionen!”(「百万の人々よ、汝らひざまずいたか」)に始まって、 “Über Sternen muß Er wohnen” (「星のかなたに、神は住みたもうにちがいない」)とffで歌われる部分では(643~646小節)、「ムース」「エル」「ヴォーネン」と一語ずつ切って、すさまじいほどに子音を響かせる。
その発音は七〇人ぐらいのオーケストラを圧して、会場の空気を引き裂くばかりに響く。ドイツ人がこういう文脈で使うMußは英語のmustより重みを持っていることを体で感じさせられる。
これはもう音楽のテクニックや単なる解釈の問題を超えたドイツ人の体臭のようなものかもしれない(残念ながら、その後発売されたこの演奏を録音したCDでは、こうした子音の強さはほとんど入っていない)。
ベートーヴェンの、このMußという言葉への思い入れは、この少し前の部分でも、より厳かな形で強調されている。