【前回記事を読む】“たった12小節”で人生が変わった――中学1年生の私を震わせたシューベルトの響き
第1章 ベートーヴェンに思う
1 第九交響曲に聴く言葉の重み
第九交響曲を歌う
毎年、年末近くになると、全国のコンサート・ホールでベートーヴェンの第九交響曲が響き渡る。
この頃になると、日頃クラシック音楽にあまり縁のなさそうなおじさんやおかみさんが「第九を聴いてきたよ。」とか、「第九を歌ったのよ。」と楽しげに語っているのを聞く。
日本のクラシック音楽もずいぶんと国民的基盤を得たものだと、少し嬉しくなる。
私もかつて、そういうアマチュアの第九歌いであった。初めて歌ったのは一九六三年だったろうか。
銀行に就職して、最初の任地の富山支店で、若い男女でコーラス部を作っていた。いわゆる合唱愛唱曲ばかり歌っていたのでは面白くないからというので、県合唱連盟の加盟合唱団が集まって第九を歌うことになった。
折しも県民会館が落成し、その杮落としにちょうどよいというので、県の予算をもらって、東京芸大のオーケストラに来てもらうことにした。
当時、新入行員で、たいした仕事もさせてもらえなかったので、こういうことに精力を傾けていた、のどかな時代であった。総勢六十人くらいの支店のコーラス部。
野球部やテニス部がそうであるように、若い者全員参加のグループなので楽譜など読めない者もいる合唱団で、これが第九を歌うのだ。
私は四パートを全部憶えこんで、ソプラノやアルトにも「口移し」でメロディーを憶えてもらい、ドイツ語らしき発音も最小限つけて準備をし、二十人ぐらいで県連の練習に出た。本番を歌い終えた後、皆でジョッキを高々と上げて、あらためて「フロイデ」の部分を歌った。私の青春時代の懐かしい思い出となった。
東京へ戻ってきても、第九歌いは続けた。それに、盛りだくさんの東京のコンサートの中からも、これという第九の演奏会は聴き逃さなかった。
小澤征爾が初めて第九を振ったときも、この曲の持つ情念を抉り出すような演奏が感激的だった。朝比奈隆の演奏は何度か聴いたが、その壮大な山を築いてゆくような演奏にはいつも打たれるものがあった。