ここでは、両書とも干支年が西暦年に問題なく変換される推古天皇紀を出発点としています。用明天皇以降、崩御年は『書紀』と『古事記』で完全に一致しています。六十年の飛びがないように注意し、代数を遡(さかのぼ)りながら、連続的に紀年の西暦年比定がなされています。
なお、表中の空欄は記・紀原文に記載がなかったものです。
初期天皇群の並外れた長寿と在位期間
この表を眺めてすぐに気のつくことが二つあります。一つは、初代神武天皇に始まり第二十一代雄略天皇あたりまで、異常な長寿の天皇が続出していることです。数えてみると、『書紀』では八人、『古事記』では九人の天皇が百歳を超えた長寿を全うしています。
『書紀』の場合、在位期間が六十年を超える天皇が宝算百歳を超える可能性を考えれば、百歳超の宝算を持つ天皇の数はさらに増えます。今の世であれば、百歳は珍しくありませんが、医学が発達していなかったこの時代、誰であれ人が百歳を超えることはまずなかったでしょう。
もう一つの問題は、初代神武天皇の崩御年が紀元前五八五年とされていることです。これに宝算百二十七歳を加えますと、神武天皇は紀元前七一二年に生まれたことになります。
近年発達が目覚ましい考古学の成果によれば、紀元前八世紀はおおよそ縄文時代の晩期にあたります。おそらく国という概念もなかった古い時代に、国を開いた天皇が存在していたとは考えにくいでしょう。
しかし、到底考えられないからといって、長寿の天皇の実在を否定し、『書紀』をでたらめな歴史書と決めつけるわけにはいきません。書紀編纂者も人の子であれば、百歳を超える長寿には疑問を持つはずです。