心に留めておきたい特別の山
登山家岩崎元郎氏が「中高年のための登山学」で独自の観点から日本百名山を選んでいるが、何とその中に札幌市の藻岩山(531m)をリストに入れている。
藻岩山からの札幌市の夜景は日本三大夜景に選ばれているが、剣岳、槍ヶ岳、穂高岳など錚々たる百名山からするとあまりにも格が違うと思うのだが、岩崎によると「頑張らないで山登り」「スローに楽しむ」という事で、標高の低い山々、北海道では、さらに、礼文岳(490m)、恵山(618m)がリスト入りしている。
標高が高くなくとも、それぞれの地域で日頃からいつも仰ぎ見る山々が全国に散らばって選ばれている。
東北では大尽山(828m)、霊山(825m)、中部、関東では奥久慈男体山(654m)、鳥場山(267m)、天上山(572m)、ドンゼン山(934m)、
中部では沼津アルプス(392m)、鳳来寺山(695m)、近畿では愛宕山(924m)、岩湧山(897m)、六甲山(931m)、烏帽子山(909m)、中国四国では弥山(535m)、 東鳳翩山(734m)、 飯野山(422m)、九州では黒髪山(516m)、沖縄では於茂登岳(526m)が選ばれている。
深田久弥の日本百名山にも筑波山(877m)と開聞岳(924m)が選ばれており、岩崎もリストに入れている。これらの山々は標高こそ低いが山頂からの展望は素晴らしいものがある。
1964年3月、私は級友2人と開聞岳に登った。山頂までの登山道は山を1周半して登っていく独特なものであった。山頂からは満開の菜の花に囲まれた池田湖や山頂から噴煙をたなびかせている桜島が遠望された。
錦江湾を隔てて大隅半島が横たわっていて、そこには沖縄戦で特攻隊が出撃した鹿屋があり、爆弾を積んで基地を発進した特攻隊員が翼を翻して日本本土に最後の別れを告げた愛おしい山麓であった。
鹿屋基地からの海軍のゼロ戦などの出撃は12機であったが、鹿屋航空基地資料館には亡くなった若い隊員の遺書や遺影が展示されていて、訪れた人びとの涙を誘っている。
陸軍の特攻隊員は南九州市知覧から402名、南さつま市万世か 120名もの多くの若者が隼や飛燕に搭乗し、出撃していったが、やはり、開聞岳上空を西南に向かい、最後の日本本土の山の姿を何度も何度も振り返り、祖国に別れを告げていたという。
開聞岳は心に留めておくべき特別の山であることを当時24歳の若者であった私はわかっていなかったのである。祖国防衛のために、町や村の人びと、両親、あるいは恋人、若妻など、彼らの命を守るために、自らの命を犠牲にするという心性はいかばかりであったろうか。
戦争という究極の局面に突入していかなければならなかった彼らの魂に鎮魂の礼を捧げたい。