あっけに取られた拓也は、思わず、

「あ、ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。なぜ、あなたはここにいるのですか? どこからこの部屋に入ってきたのですか? お名前は?」

と呼びかけるが、薄っすらとした狐色のショートヘアがよく似合っている女性はどこまでも透き通った無垢な目で拓也をじっと見つめるばかりだった。

壁向こうの部屋から微かに聞こえてくるテレビの音で、ふっと目を覚ました。隣の部屋にはOL風の若い女性が住んでいて頻繁に男が訪ねてくる。夜遅くまで話し声やTVの音が聴こえて、安眠を妨害される日が度々ある。

東京の自宅から持ってきた使い古しの目覚まし時計に目をやると夜中の一時を回っていた。ゆっくりと起き上がり冷蔵庫の中に入っているごぼう茶を一気に飲み干し、シャワーを浴びに浴室に入った。

「今日は土曜だ。仕事は休みなので午前中はずっと寝ていられるな。折角の観光地だ、午後からは、ぶらりと街に出てみることにしよう」。流石にこの時間になると季節外れの蒸し暑さは感じなくなっていた。

土曜日は朝から晴天。蒸し暑さというよりは打って変わって心地よい風が吹き、外出にはちょうど良い天候だ。二年ほど前から減量を始めていたので朝食とお昼は抜きの生活。

食事の時間がない分、効率的に行動ができる。今日の装いは、これも麻100%の長袖シャツ。白地に橙、青、黒、そして茶、四色のボーラーハットの絵が踊るような形でプリントされている。

五十を過ぎたおっさんにはかなり派手目であり気が引ける感もあるが、勇気を出していざ着て街に出てみた。意外にも周りの風景とマッチして気にならない。

他人様はそんなに人の着ている服などジロジロとは見ないものである。Levi's 501と純白のNike Air Force1で派手さがうまく中和される。

頭にはネイビーのキャスケットが鉄板。仕上げにボタニカル柄のスカーフを洒落っ気たっぷりに巻いて出来上がり。江戸時代末期の鎖国時代にタイムスリップしたような気分に浸りながら外国人居留地をゆっくりと歩き、中華街で足が止まった。

以前、出張でこの地に来た時に食べた皿うどんの味が忘れられず思わず「一日一食生活」の掟を破り、豪華な店構えの中華料理店へ吸い込まれるように入っていった。

 

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