私は彼の不甲斐なさに怒りを通り越して悲しくなってしまった。ずっとこの日を待ちわびていたのに、もう結婚するのをやめようかとさえ思った。しかしここでやめてどうするのだ。今日で私も二十五歳だ。結婚をしないということは、ハギと別れるということだ ろう。結婚は絶対にしたい。しかし今更新しい相手が見つかるとも思えない。
ハギと付き合っている間にも、彼氏の存在を隠してしばしば恋愛を楽しんだが、そのど れもが上手くはいかなかったではないか。私には結局、ハギしかいないのだ。
ふと左手薬指に目を落とした。植物園を出て明るい市街地の光の下、指輪は楚々とした輝きを放っていた。
その輝きを見ていると、少しだけ心が満たされた。海外でのプロポーズ、ヴィオレッタの指輪。自分は心から喜ぶことはできなかったが、充分に人に話せる事実ができたではないか。
帰国後私はさっそく友人らに指輪を見せびらかし、海外でのプロポーズのことを自慢し、結婚する旨を報告した。あくまでも私は何も知らなかったというていで、いかに感動したかを立て板に水の如く、嘘八百を並べた。指輪と海外プロポーズは事実なのだ。十二分に羨ましいはずだ。
ほとんどの友人が羨望の眼差しで祝ってくれた。稀に興味がないというふうな態度を取ったり、おめでとうの一言さえない友人もいたが、私はそんな反応すら心地良かった。
人の幸せを素直に喜べないのは、自分が幸せではない証拠だ。私はそんな友人を哀れに思った。
籍を入れてからも想像通り、新婚というだけで幸せに見られた。そして既婚者というだ けでなんだか周りの見る目が変わったような気がした。結婚しているだけですごく常識的で責任感があって一人前の大人で、勝ち組のように扱われるように思った。
ここで大事なことは、私が普通の流れで結婚したことだった。
『できちゃった結婚』ではないこと、これは私にとって、とても重要なことだった。
子供ができ、仕方なしに籍を入れた。そんなふうに他人に思われることは耐えられない。大恋愛の末、情熱的なプロポーズをされ、幸せな結婚をする。それこそが真の幸せの形であると信じていた。私ができちゃった結婚に強い嫌悪感を抱いているのにはそれなりの理由があった。