彼の両親は、「仕事は真面目に一生懸命にすることが大切で、こつこつ継続して取り組んでいると良いことがある」が口癖だった。農作物の相場が悪い時でも手を抜くことはなく、黙々と利益の出ない作物を大切に扱っていた。
3年のうち2年は厳しい相場に翻弄されつつも、辛抱していると良い相場が来ると信じて努力する人たちだった。しかし、農業も漁業も地域で一番を目指して努力をする両親の姿を見ていた彼には、それが逆に精神的な負担にもなっていた。
彼の生家がある河口付近のエリアには、100軒程度の家屋が密集していた。海まで100mの距離で、子供の頃の遊びと言えば魚釣りである。
小学校の低学年の頃は、家の前の溝のミミズを餌にして、投げ釣りでハゼやギギ(ヒイラギ)という魚を釣っていた。高学年になると、近所の友達と海苔の養殖に使う伝馬船(てんません)を操縦して、船の上からキスやカレイなどを釣っていた。
釣れた小魚は、夕食のおかずとして食卓に登場した。餌は、早朝の干潮の時間帯を狙って遠浅の干潟で本虫やゴカイを掘って、その一部は釣具屋で買い取ってもらい針や錘などの仕掛けを購入し、パンやお菓子などの彼のおやつも買っていた。
ある時、彼は学校の同級生たちと伝馬船で近海の小島まで遠出を敢行、無人の浜に上陸して遊んでいたところ、潮が引いて船が砂浜に乗り上げてしまった。皆で押したが船はビクともしない。
内心は焦っていたが、皆で重い船外機を取り外して砂浜に揚げ、船体を軽くしてなんとか海面まで押して、船外機を戻して一安心……と思いきや、何とエンジンが掛からないではないか。船はコントロールを失った状態で漂流。
父親からは、海上保安庁には見つからないようにと注意を受けており、焦りは頂点に達し顔面蒼白に……暫くしてやっとエンジンが掛かり一安心。船が近くの沿岸に近づいた時、大人を呼んで助けてもらおうと考えを巡らせていた。
携帯電話がない時代、かっこ悪いなあ、叱られるかもしれない、しかし無事に友達を帰さないといけないという責任感と恐怖感が入り交じり「助けてください」と言うぞ、と覚悟を決めていた。
👉『スーパーに就職するなら、「店長」がいちばん面白い!』連載記事一覧はこちら