【前回記事を読む】女の肉体の限界がうらめしい。男ほどの身体的能力のない、女の私が軽視されているように感じ…
第二章 蔦の迷宮に燃ゆる紅薔薇
「お前のその剣を寄こせ」
ひんやりとした冷たい石畳の床に片膝をつき、先ほどまで決して私に向けることがなかった男の目線が僅(わず)かに揺れた。
風向きが変わったと感じた私は、ゾクリとし息を呑んだ。私の無性(むしょう)な苛立(いらだ)ちはすっと背筋を通り、腰の辺りから身体の外へ抜け、それと同時に、得(え)も言われぬ期待感に胸が高鳴った。
ところが――
「元首(ドージェ)、全ては貴女(あなた)様の仰(おお)せの通りに」
そう言って、腰にはいていた長剣を外し石畳の床に素早く置いた。この男の所作(しょさ)にはいつも無駄がなく美しく頑(かたく)なな冷たさだ。
ガシャリと金属と石の擦(す)れる音が重く響く。
なぜこの男はこのような時でさえ冷静でいられるのか。普段と何ら変わりがないその振る舞いは、前元首である父への揺るぎない忠誠心から来るものだけなのか。
共に戦い、その生命を護(まも)り抜いてきた長剣を、こうも簡単に委(ゆだ)ねてしまうこの男、その心がわからない。真意が掴(つか)めない。
許せぬ。
従うふりをしながら、女である私が元首であることに実のところは非常に不服で、密(ひそ)かに見下し侮辱(ぶじょく)し、心の中では嘲(あざけ)り笑っているのだろうか。
肘掛(ひじか)けに置いた右手の拳(こぶし)をさらに固く握りしめた時、私は隠しきれないほどに強く震えている自分に気がついた。全身の血液が逆流するかのように脈が上がり、喉(のど)が詰まり息が吐けない。
胸の痣(あざ)が熱を帯び、ずきずきと痛みだす。紅(くれない)の薔薇(ばら)の花弁(はなびら)が不均衡(ふきんこう)に重なり合っているように見えるこの痣は、生まれた時から右胸にあったものだ。
かろうじて衣(ころも)で隠れる位置にあるものの、これがとても憎い。感情の抑制(よくせい)をすればするほど、この紅色(べにいろ)の痣はさらにその色を鮮やかに際(きわ)立(だ)たせ、私の内と外の両方にある醜(みにく)さを露呈(ろてい)してしまうからだ。
削(けず)ってもえぐっても、傷が癒(い)える頃にまたこの痣は浮き上がり、皮肉にも以前よりさらに成長し存在感を増してしまうのだ。
理性と自尊心の僅(わず)かな残滓(ざんし)を保っていた左手が、ガタガタと大きく震える右手首をガシリと掴(つか)んだ。止まっていた呼吸は、大きく息を吐くことで再開し、普段通りの私自身を取り戻すことに成功した。
「(私の)剣を(持って来い)」
先ほどまで私の足元に何時間もかしずき、足は痺(しび)れ、とっくに感覚を失っているはずだ。
にもかかわらず、何事もなかったかのようにすっと立ち上がり、私の座椅子の横に立て掛けられた剣を丁寧に両手で取り、私の目の前に跪(ひざまず)き、それを掲(かか)げた。