まえがき
「雑穀をつくって食べて生きてきた。こんなものでも食べてきた」
岩手県の山間にある岩泉町に暮らした畠山トキサさん(昭和3年生まれ)はこう話してくれたことがある。
雑穀はトキサさんの子供の頃や若い時の主食のご飯だった。稲作が普及するまではご飯といえば麦や雑穀の飯。特にヒエはぽろぽろとしておいしいといえなかったが、これしかなかった。
けれど「雑穀をつくって食べて生きてきた」という言葉に、山の中で土地にある食べ物を大事にしながら生きてきた誇りのような心情がこもっていると感じた。
岩手に赴任して雑穀を初めて知った。雑穀とはイネ科穀類の中でヒエ、アワ、キビなどの総称で、小さい穎果(えいか)をつけ夏作物として栽培されるもの。だが、そんなことはもちろん知らなかった。
子供の頃、飼っていた文鳥にアワをやった記憶があるだけだ。えさの容器に器用に嘴(くちばし)でむいて吐き出した皮だけが残っていた。
岩手県は、雑穀が特産物で、戦前から全国一の生産量だったと知ったが、以前は農村や山村を中心に全国どこでも栽培していたと知ってちょっとがっかりした。雑穀や野菜、豆類を中心にした、現代でいえば素朴で体にやさしい食事が当り前だったのだ。
しかし、稲作の普及につれ雑穀に代わって白いコメを食べるのが当り前になり、おいしい食べ物が手に入るようになって他の地方ではほとんど忘れられた。岩手県でも、北部や北上山地など中山間地で細々と受け継がれているだけだ。
だがなぜ岩手に雑穀が残ったのか。つくって食べてきたのか。素朴な疑問が湧いた。雑穀は貧しさの象徴で岩手の後進性を示すものなどと言う人がいたが、わかったようでわからなかった。
冒頭の岩泉町は北上山地にある。北端は青森県階上岳付近、南端は宮城県牡鹿半島、大半が岩手県東部に連なる。青森県から岩手県にかけて太平洋高気圧のためヤマセ(山背)の常襲地帯で、夏場でも冷涼な気候でかつて稲作は冷害に悩まされた。
だが、ヒエをはじめ雑穀は厳しい、自然のままの条件で育つ。肥料をやりすぎては茎葉ばかり伸びて実入りがかえってよくない。肥料をやらず山に播いても実をつける。
生命力が発揮するのは最適条件の温室のような環境ではない。もともと野性的な植物なのだ。雑穀は品種改良の手がほとんど加わらない作物として貴重だ。
雑穀の中でもとりわけヒエは貧しさを象徴する筆頭の地位にある。卑しい作物であると、江戸時代の農書『農業全書』に書いてある。だが同時に痩せ地でも育ち、水田でも畑でも育ち、救荒作物であった。冷涼な気候でも痩せ地や水が引けない地形でも栽培できる。
ヒエの籾(もみ)は乾燥した状態なら何年も貯えられ、飢饉の際に命を助ける作物として倉に備蓄された。いざという時に頼りになる食糧だったから、山間部では主食の筆頭の地位にあった。
産地でさえとうに忘れられた。厳しい自然風土に生きる北上山地に暮らす人たちが、いざという時のことを考えて選んだのがヒエという作物だったことも。
いや選んだのではなく、これを食べるしかなく受け継がれてきたのだ。コメがとれない地域の主食だった。