この人はもうこの世の人じゃないんだ、この汚れた世界から離脱してしまった人。もうぼくしかこの人を守れない。そう自分に言い聞かせた瞬間徹の顔つきは変わった。
少年から男へ、そして子供から大人に変わった。誰かを守るということは、何かに立ち向かう強さも持たなければならない。
徹が歩もうとしている道には悪が潜んでいるかもしれない。その時は徹自身が悪になり、それと対峙(たいじ)する覚悟も携えた。
徹は自分の臍(へそ)の下辺りでぐるぐる何かが芽生えるのを感じた。それは勢いを増し徹の下腹部を突き破り灰色の空の下へと這い出た。
自分の身体から這い出たそれをじっと見つめ、それは自分の分身だと徹は確信した。自分の分身であるならば、自分が持ち得ない力を持っていて欲しいと願った。それは神に仕え悪にへつらう分身であって欲しい。そうして全ての力を僕に捧げて欲しいと願った。
「海」
夏海が声を荒げて言った。そこにはキラキラと鈍い光を放つ屋根瓦の波が見えた。
「うん、綺麗な海だね」
夏海が海と言った屋根瓦の波は、徹の目にもキラキラとして見えた。
「夏海さん、僕はちっとも辛くはないよ。こうして一緒にいると、同じものが同じ時に見えるから、僕は幸せだよ。夏海さんはこれから綺麗なものだけ見ていってね。大丈夫、僕はいつも傍にいるからね」
「うーみ、一緒」
夏海は幼子のように顔をくしゃくしゃにして笑った。徹も夏海を見て微笑んだ。二人だけの世界が幕を開け、生暖かい風はキラキラ光る二人を避け通り抜けていった。
もっと大人にならなければ、もっと強くならなければ。徹は心の中で呪文を唱えるように繰り返した。
言葉のサラダがたとえ大きな器に山盛りで出てきても、僕は全部に美味しいドレッシングをかけてあげる。そして一つ残らずたいらげてあげるからね。
通り抜けていった風が振り返ると、雲間から差し込んだ光が二人を包んでいた。
次回更新は1月21日(水)、21時の予定です。
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