【前回の記事を読む】「文学部に行くくらいなら就職しろ」と吐き捨てた父を、頭の中でぶちのめした。いざ大学に入学すると父は…
海底農園
二
当時は幾ら大会で負けたとはいえ、一回で諦めてしまう勇也の心理が理解できなかったが、今になると自分と比較することで何となくその解が見えてきた。
稽古の動機に関して勇也は己の理想に向けての拘りであり、武司は行動に向けての義務感だということだ。
武司の根拠なき独自の理論によれば人というのは理想に反すれば気力を失い、義務に反すればその罪悪感から償いという形で更なる行動を引き起こすそうだ。
加えて言うならば理想というのは当人が望むものであり、その想いが強い程に修正するのが難しいのである。
つまり勇也は理想に向けて相当強い拘りを持って稽古するも上手くいかず、その呪縛から次の目標やそのための行動が見出せなかったというわけである。
何かをするには何らかの動機が必要というわけだが、それは強すぎると人を破滅へと導く薬のようなものなのだ。
武司はそのようなことを思い出し、自身に剣術を続ける才能を見出した。剣術をやりたかったのではなく、剣術を続けたかったのだ。
入部してみると自身の通っていた道場と同じ荘厳な雰囲気の施設に想像以上の数の部員がいた。半数近くは大学入学後に始めており、また経験者もいたが、その年数で言えば武司より浅い者の方が多かった。
それでも少年向けの道場での稽古とは比べ物にならない程過酷な内容をこなしてきた彼らのほとんどに敵わなかった。基礎的な技術面では大きく負けてはいないかもしれないが、特に体力面においてその歴然とした差を見せつけられた。
打ち込みでは地面に叩きつけられ、体力作りの走り込みでも誰にも追いつけないその有様はとても経験者には見えなかっただろう。
休日の稽古には中年の師範も顔を見せる。短髪角刈りの師範は指導において声を荒げることはないが、理論的な中に何処か重々しさを感じさせる方であった。
稽古中は特に経験者でありながら実力が伴っていない武司に厳しく、そのような師範に対して武司は内心怒りの矛先を向けることもあった。
然し、普段はどの部員にも分け隔てなく接し、部の穏やかな雰囲気にも馴染んでいることで武司が心の底から師範を憎むことはなかった。師範として当然持つべき厳しさなのだろうと呑み込んでいた。
剣術部では苦労の方が多かったが、ある程度の充実感を覚えていたはずだった。然し、高校生のときに憧れたものとは似通っているようで違うものだった。
当初の武司は持ちえない理想に向けて奮闘する姿勢を求めたが、今は続けることそのものに生き甲斐を感じている。
自分に変化が求められながらも今この場に存在しているのは、潜在的な自身の性質故だという。その乖離に不安を抱えながらも時が経ち、環境に適応していけばそのような目標を持つこともできるだろうと楽観的に考えることにした。