背中にいやな汗が一筋、すーっと流れるのが分かった。

新築ってわけじゃないんだから掃除しなきゃね、匂いもこもるわよ。いいわ、あたし掃除してあげる。莉奈が息巻いて、手にしていたワインを飲み干し、飲んだ後のグラスを床に置くと、廊下に立てかけていた床ワイパーを手にした。

ワイパーを持った莉奈がずかずかと部屋に入って掃除を始めた。その時、私の脳裏に、形の崩れた人影と、うごめく無数の蛆虫が浮かんだ。

どこかでブーンとハエの羽音がしたような気がした。私は部屋に足を踏み入れることもできず、部屋から顔を背けた。

「ねえ、カーテンとかないの?」

「あることはあるけど、古いわよ」

「いいから出してちょうだい」

引っ越し前からついていたビニールカーテンを取り外すと、莉奈は部屋の外に置いた。私はこわごわそれを手にして台所にあるゴミ袋に入れ、口をしっかりと縛った。

「せっかくだから、あたし今日はここで寝る」

莉奈が部屋から叫ぶのを耳にしながら、お風呂をためようと、風呂場に向かった。

翌朝、清々しい顔をして起きてきた莉奈を見て、私は少しほっとした。

「よく眠れたわ。家なんかよりずっと。タワーだとね、時々なんとなく宙に浮いている感覚があるの」

「そんなもん?」

「うん。だからさ、時々ここ、遊びに来てもいい?」

「大歓迎よ」

「遊びに来たとき、この部屋、あたし専用にしてね」

「莉奈のために、掃除もせずに置いとくわ」

「いいわよ、ありがと。これで心置きなく夫婦げんかができるってもんだわ、ふふふ」

子どもを午前中に迎えに行かねばならないという莉奈をバス停まで見送ると、また家へと戻った。もう一階に車は止まっていない。

二〇二号室の前を静かに歩いて通り過ぎると、その前の廊下は、不知火さんの息子という人が洗ったのか、水で濡れた気配が残っていて、昨日まで悪臭を放っていたとは思えないくらい、ゴミ袋もなく、なんの形跡もなくなっていた。

家にたどり着くと、莉奈が開け放って去った例の部屋のふすまをぴっちりと閉めた。

次回更新は1月25日(日)、11時の予定です。

 

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