「総大将の下知に従っていてもこの戦は勝てぬ。方々(かたがた)は今日まで蒲殿に付き従ってこられ、戦果も無いまま西の果てまでこの幾月よ。それしきの事が分かるまい事か」
安田が憤然として甲冑を鳴らした。それを多田が片手で押さえた。
九郎は躰を二人に向け直して、真摯な目をして更に続けた。
「無礼を許されよ。だがここは是非一つ、鎮まりてお聞きあれ、宜しいか。今総大将に背きその上、もしこの九郎義経の策が外れたとすれば、その責めは全て我が負う。汝らには累の及ばぬように致す。我に二言は無い。
それ故案じられるな、今は運をこの九郎義経に任せ、ただ存分に御働き召されよ。巧く行けばこれほどの武勲は他に無い。いや、方々の力あってこそこの戦は勝つ。その力を我は心より信ずる。これが義経の本心じゃ。信を成さるか、如何」
大将はまだ若い。どうにかして手練の部将たちの得心を得たかった。
両将は暫く黙していたが、多田はそんな大将の心中に好感したのか、おもむろに、
「この奥の杣道を辿ってゆくと、福原の上まで落ちる坂になり申す。夢ノ口門より幾らか東寄り、正に福原の北でござる。杣人(そまびと)の行く山道故に狭く足場も悪く、坂は急なれど、そこから何とか転がり落ちるようにして馬で下りれば、福原のすぐ裏手に出られ申す。但し、馬を損ねる者もおりましょうが」
九郎は笑った。
「多田殿、よう申した。案内を頼む。これより街道を外れ、山の中の杣道を、その坂に向かって軍を進める。坂は半数が下り切れば良い。馬を損ねれば、徒歩(かち)で敵に突っ込め。戦力は二の次、敵の肝を抜く事がこの策の要じゃ。鵯越は安田殿と多田殿に任せる」
そう云って安田の顔を見た。安田は多田の顔をじろりと見てから、やむなく観念したように、目を瞑って云った。
「御意」
「して、御大将は」
と、驚いて多田が聞くと、
「我は今から急ぎ取って返す。別動隊として七十騎を率いる。福原への攻撃は、矢合わせの卯三刻より少し後だ。半刻程遅らせよ。頼んだぞ」
そう云うや否や九郎は立ち上がった。
注1 蒲殿:源範頼(みなもとののりより)、平家追討軍総大将、義経の異母兄弟
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