そこで述べられていることは多くの正しい視点があり、そのために、19世紀末までに労働法制、独占禁止法制等の整備がなされ、資本主義が変容を受けたことはよく知られている。
そして、マルクスの後に登場し、社会科学の発展を担ったのはマックス・ウェーバーであった。
彼は、人間の精神的社会的活動(上部構造)は、社会の経済的営み(下部構造)が反映したものだと考えたマルクスの学説を否定し、政治・法律・宗教・文化等にはそれ自体独自の働きがあるものだから、その歴史的な動きと働きを研究する必要があるとして、政治社会学、法社会学、宗教社会学の創設と発達を推進した。
ウェーバーの研究者である楠井先生は、こうした社会の多元的な見方を教えてくれた。
ところで、資本主義のアンチ・テーゼ(反対の命題)として旧ソビエト連邦等で生成・発展した社会主義には重大な欠陥があることが段々と明らかになった。
その欠陥を一言でいうならば、仮にという富の公平な分配理念に合理性があっても、それを実践する社会システムが、上に立つ者の権力を抑制できず、下にいる多数の者を、やってもやらなくても同じという気持にさせて社会を改善してゆこうとする意欲をなくさせ、結局不合理な運用となってしまうというところにあると考えた。
そして、社会主義の失敗が明らかになるとともに、資本主義陣営と社会主義陣営の対立である冷戦も終えんした。結局、マルクスは、人間が利己的に行動することについて楽観的過ぎたともいえる。
(2)経済研究所で学んだ産業論とその実践
旭硝子を退職後は、筆者は、1年弱程度を民間の経済研究所(シンクタンク)に勤めた。この研究所は、産業材料等についてを中心に研究しており、筆者はここで、廃棄物の再資源化の循環システムを熱力学的に考察し、依頼者(当時の科学技術庁)に報告する仕事などを行った。これらの仕事及びそこでの議論を通じて産業論とその実践を学ぶことができた。
その中で、文科系も理科系も含む多くの所員で産業材料関係の調査カードを作っていたとき、文科系の人から、技術系の人は「産業概念を落とす(だから、不十分だ)」と言われたことが印象に残る。
つまり、技術関係には踏み入るが、大局的な産業概念に目が行かないという意味だと思った。文科系と理科系の着想の開きを示すものであろう。
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