【前回の記事を読む】賭け碁の時代が終わり、競馬の時代が来る。明治の横浜で博徒たちが選んだ新しいシノギのかたちとは

惰走は駛走に変わる

「手入れが入ったときのことは、考えてます」

中村川に架かる車橋を渡った先から競馬場までは、坂道が続く。夜も更けてきたが、日中の暑さはまだ残っている。水が湧き出している場所を通りかかったとき、工藤が立ち止まって合図したので、喉を潤した。

さらに坂道を上っていくと、競馬場の正門が見えてきた。その前を通り過ぎ、丘陵を登り切ったところで、工藤が立ち止まる。建物のない、開けた土地の前だった。六十坪ほどの広さになるだろうか。農地のようだが、今は作付けされていない。生えているのは雑草だけ。月明かりだけでも、そうとわかった。

「ここで馬車やらを預かる商売をしてた三村ってやつが、賭場で大負けしましてね。しばらくの間、使わせてもらうことになりました」

目を凝らすと、端の方にいくつかの木の杭のようなものが立っている。馬を繋ぐ目的で打たれたものなのだろう。工藤が上体を捻って視線を後方に向ける。その先には木々が立ち並んでいた。

「あの向こうが馬場で、桟敷席を建てれば見渡せます。それだけでも客を呼べるし、馬券を売れば、間違いなく儲かる。丁半博打とは比べ物にならないほど、大きなシノギになりますよ」

工藤が上がりを増やすことにこだわる理由を、浅田は痛いほどわかっていた。

浅田も工藤も、自分の素性は知らない。三十歳前後だろうという推測はできるが、詳しい年齢はわからない。

物心ついた頃には、共に一家で養われていて、兄弟のように育った。そして、やはり血の繋がりこそないが、実の親のように慕う人はいた。先代の貸元、日下三郎である。

日下は、明治十七年六月に逮捕収監された。そして、半年後の十二月、神奈川刑務所の獄中で亡くなる。知らせを受けて浅田らは遺体を引き取りに向かったが、既に荼毘に付された後だった。

収監される前の日下は健康で、持病などはなかったはずである。しかし、死因は脚気による心不全と説明された。死亡した日付は、浅田らに知らせが届いた二日前となっている。それを問いただすと、手続きの煩雑さのせいにされた。