そんな中、私はアジアの魅力に取り憑かれ、よほど性に合うのか、なぜかアジアに行くと元気になって帰ってきました(帰るなり散らかり放題の台所の片付けと大量の洗濯に追われましたが)。
アジアの喧騒や混沌、市場の匂いや活気が今でも思い出され、懐かしすぎて泣きそうになります。
毎日、足マッサージとオイルマッサージ三昧だったせいか、朝方に到着する飛行機で帰り、そのまま店を開けても元気でいられました。相変わらず経済にゆとりがない私は、次の買い付け時期は未定で、資金が貯まったら行けるというパターン。物価の安いアジアだからこそできたのだと思います。
一番印象に残っている旅は2000年のお正月に行ったカンボジア。お正月のチケットは高いし買うのが難しいので海外に行くことはまずありません。でもこの時だけは2000年の夜明けをアンコールワットの丘の上(プノンバケン)で迎えたいと思い、必死になってチケットを探しました。
結局、成田に住んでいるのに羽田空港から国内線で福岡に行き、そこから上海経由バンコク行きというチケットをゲット。早朝に出発したのに、バンコクに着いたのは深夜という遠い遠いアジアへの道のりでした、次の日にバンコクからシェムリアップへ。
カンボジアは一世紀に一度のアンコールフェスティバルという一大イベント。国民の大半が大移動でシェムリアップに集まってきました。
通常ならアジアのホテルは現地で探せば、予約なしでも泊まれるのですが、あの時はどこを回ってもホテルが満室! 日本人がやっている孤児院に泊めてもらい、子どもたちと一緒に大晦日を過ごしました。
2000年の幕開けを異国の地で迎え、初日の出を待つ世界各国の若者たちと、昇る太陽を見ながら大拍手と「happy new year」の連呼。
アジア各地を旅しながら、自営業者として素敵な商品を買い付け、しっかり店をやっていこうと私も決意した2000年の幕開けでした。夢にまで見たアンコールワットにあんなに早く行けたなんて今でも信じられません。
カンボジアでは女性たちのミシンプロジェクトのNGOへ。伴侶は地雷で手足をなくして働くことができません。クロマー(チェックの布で首に巻くスカーフのようなもの)やバッグなどの小物を買い付け、日本人がやっている孤児院も2ヶ所、見学に行きました。
「日本語を勉強して話せるようになったら、ガイドとして自立できる」と信じ、子どもたちは一生懸命日本語を勉強していました。いずれ孤児院の敷地内にホテルを建てる計画があるとスタッフが話していたので、もしかしたら今頃、あの子たちがホテルで働いているかもしれません。きっと優秀なスタッフに育っていることでしょう。
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