しばらく頭を抱えていれば、徐々に緩んでくる。大丈夫、大丈夫と頭の中で言い聞かせながら、しばらくそうしていると、歪んでいた顔面も徐々に緩んでくる。そのうちに、いかん、こんなことをしていると約束の時間に遅れる、という現実的な思考も回り始め、やがて平静を取り戻す。
遭難事故報告書を再びビジネスバッグの中にしまい、そして机の上にばらまいた長倉の登攀道具も、また青いスタッフバッグにしまう。スタッフバッグの中に入れてあった茶封筒だけは戻さず、中から短冊形の便箋を取り出す。
そもそも、その青いスタッフバッグに入っていた登攀道具は、一度は長倉の奥さんに届けたのだが、奥さんはそれを送り返してきたのだった。茶封筒に入った手紙は、その時に一緒に梱包されていたもの。
川田様
長倉の遺品の登攀道具は、川田様から、長倉のご両親に渡してください。もし長倉のご両親が受け取らなかったら、川田様ご自身で使っていただけると助かります。不要であれば、処分いただいても構いません。私には、手元に置いておく勇気がありませんので。お手数おかけしますが、何卒、よろしくお願いいたします。
長倉 葉子
読み返したのはもう何度目かわからないが、やはり「勇気」の意味がイマイチぼんやりしている。要するに、辛い、ということなのかなとも思う。
ただ、葬儀で会った長倉の奥さんの顔を思い出してみても、それは悲しみに暮れる表情ではなく、凛とした、むしろ何かに対して向かっていくような、攻撃的なものすら感じる表情だった。もしかしたら、自分に対して怒っているのか?とも思った。
ただ「勇気がない」とか、「辛い」というのはしっくり来ない。もう一度読み返してみるが、やはりモヤッとする。
次回更新は1月1日(木)、8時の予定です。
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あの冬、剱岳での遭難事故から…もう初夏だ。あの人の写真をなぞる。「早く、迎えに行きますから。必ず、探し出しますから」
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