1979年は、わたしの父が「前立腺がん」で亡くなった年である。それは、わたしが麻酔科で半年、内科で1年の勤務を終えた頃のことであった。父は、長年にわたって、整形外科医から慢性腰痛症(関節の変性)と誤診されていたが、実際は前立腺がんの転移によって、長い間ひどい骨の痛みを引きずっていたのである。
父は、医者に従順な病人であったので、主治医の勧めで手術を受け、その後、放射線と化学療法を受ける長旅に耐えていた。父の苦悩を目の当たりにしたことは、わたしたち家族にとって大変大きな衝撃であった。
鎮痛剤が処方されていたが、1日に3回、10滴のアヘン剤を垂らすだけで、痛みを抑えるには到底足りない量であった。担当の先輩医師は、わたしとの会話のなかで、「この量のアヘン剤は、極めて許容範囲が広いのです。同僚として知っておくべきでしょう! やはり、父上を殺すわけにはいきませんから……」と言ったのである。
わたしは憤慨した。納得できなかった! わたしは父と何度も話し合った。クリニックを出て、家族の安らぎのために家に帰るように説得した。わたしは、休暇を取って、自分で父の治療をすることにした。父のために、初めて診療所の外で、モルヒネの処方箋を切ったのである(第11章参照)。
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