【前回の記事を読む】太くて長い子供の箸のような注射針を腕の2か所に刺す…何事もなく透析ができるのか…先生の緊張も伝わってきた

【いよいよ人工透析導入へ……】

そういえば、その女医さんから抜き打ちでリンの検査をされたことがあった。絶食はしていないので内心びくびくだったが、後日検査結果を知らされると基準値内の数値だったのでどうして食べていたのに絶食した時より低かったのだろう?と不思議だった。

今思うと、この女医さんにもその知識があったらなぁ!とつくづく思う。

水分制限はもっと厳しく、大好きなコーヒーもビールも舐める程度しか飲めなかった。

透析導入から1年が過ぎる頃に、長男の結婚式をハワイで行うことになり、2回ハワイで透析を受けた。病院の名前は忘れたが、リクライニングチェアで冷房がガンガンで部屋がキンキンに冷えていて毛布を借りても寒くて寒くて足が攣りそうになった。

透析を受けている人たちは殆どが観光客で、半袖短パンでも毛布をかけている人はいなかった。アメリカの看護師さんのレベルは非常に高く、担当医はいなくて、看護師と技師だけで透析室を回していて驚いた。日本は医師が居なければ透析治療は行えないと思う。

2回の透析は違う看護師さんだったが、どちらも穿刺(せんし)がとても上手で早かった。刺される時の痛みを感じなかったほどだった。

ひとりの看護師さんは日系の方で、おばあちゃんが広島にいて遊びに行っていて先週広島から戻ったばかりだと片言の日本語で話してくれた。

旅先透析なので足が攣りそうになると、その場で透析終了になり決して無理な透析はしないと言われた。お陰様で結婚式のハワイの写真は全て顔が浮腫んでいる。

4時間透析が4年を過ぎた頃から、身体もますます重苦しく感じるようになり、尿毒素が蓄積している感じでいつもスッキリ感がなく、水分制限も辛く、日に日に気持ちが落ち込んでいった。

仕事や日常生活がガラッと変わるしかないこの透析生活だが、もし、夜寝ている間に透析を受けることができたなら、社会復帰はもちろんのこと、日常生活も元に戻ることができるのになぁ!などと夢みたいなことを考えるようになっていた。

しかしすぐに現実に引き戻され、『あるわけないか。そんな夢みたいな病院が……』と。そして現実は、徐々に取り切れない尿毒素が体内に溜まってきて、瞼や顔の浮腫みが目立つようになり、透析後でも身体のスッキリ感がなくて、娘から透析直後にも「今度の透析はいつ?お母さん顔が浮腫んでいるよ」と言われるようになった。