いじられたことに関して「自分は全く心当たりがない」「むしろこの人は何を言っているんだろう?」というのを、作らず本心で思いながら、いじりに対して真剣に向き合うのが良いでしょう。
例えば、髪型をいじられても、自分はそれをかっこいいと思っているので笑われている意味がわからない。見た目がかっこ悪いと言われても、自分は男前だと信じている。この時本人が自覚している自然な「受け」やその反応によって、すれ違いがおこり、活発な笑いになるのです。
この時、いっさいの自虐は存在せず、相手にはこの「いじり」は全く通用しないんだ、という世界観の勝負になってきます。和やか、というよりは反発・反論する際のやりとりも含め、俯瞰で見て面白いという構造です。
ということで、もしリーダーのあなたが人からいじられたとしたら、それは周りからいじってもらえるだけの隙があるという評価であり、その時をチャンスと捉えて自分に合った「受け」で対応すると良いと思います。その時は二つのうちのどちらかに振り切って、中途半端はやめましょう。
「いじる」「いじられる」という構造と行動原則
最後に、いじる・いじられるうえでの注意点をお伝えしておきましょう。ここを間違えると、僕が良しとしている「いじられ力」が意味のないものになってしまいます。
「いじる」行為は、その立場やヒエラルキーによっては、馬鹿にする行為や舐めた態度、ひいてはいじめに発展する危険性があります。そこで重要なのは愛を持っていじっているか否かだと僕は考えます。
この人はこれくらいいじっても笑って許してくれる。この人は自分をいじってくるが、そこには愛があっていじってくれている。そんな信頼関係がなければ成立しない比較的高度なコミュニケーションかもしれません。
僕の言う「いじられ力」を持ったリーダーは、リーダーという立場やポジションがありながらも、相手にいじってもよいと思わせる心の広さを持っているということです。いじられても怒らないでユーモアで返す。そんな大らかさがリーダーには必要なのです。
リーダーであることはそんなに楽なことではありません。ヘラヘラしたくないときもあるし、本当に命をかけた決断をしなければいけないときもあります。でも、だからといって威圧感を与えたり、自分勝手に突き進んでも周りはついてきません。時にいじられ、それに対して笑って返す余裕があってこそ、人から好かれるリーダーなのです。
いじられることを容認する広い心を持つこと。いじられても笑える寛大さを持つこと。
あなたは、周りの人にいじられていますか? ひょっとしていじらせないオーラを出していませんでしょうか。良いリーダーには「いじられ力」が必要なのです。
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