右近は、順調に入れ替え戦にも勝って、本場所の土俵に十七歳で上がることになった。
本場所の初土俵で、大関の伊勢(いせ)や和泉式部に勝ち、客を仰天させたが、そのまま勝ち続けられる程、本場所は甘くなかった。共に関脇で実力者の、清少納言と紫式部には、焦って廻しを取りに行ったところを狙われ、星を取られた。
初土俵で、小柄で経験の浅い右近が、九勝二敗の戦績は上出来だが、雷子は、今後も勝ち続けるには、それまでの女力士の技量を上げる為の叩き上げの稽古ではなく、個別に対戦相手を想定した稽古の方が有効だと考えた。
雷子は、学生時代に清少納言や紫式部と取組んでいたので、彼女達への対策は出来ると言って、女将に取組稽古の変更を願い出た。
女将は、自分が決めた稽古内容について、誰であろうが絶対に従わせてきたが、咲が雷子を慕っているのは十分判っていたので、雷子に稽古内容も任せることにした。
結果、雷子の卓越した観察力と分析力を生かすべく、右近は更に努力を重ね、清少納言や紫式部を上回る機動力を身に付け、怪力も効果的に発揮するようになり、破格の女力士へと変貌していった。
大関になり、全勝優勝記録を更新し続ける右近は、どこまで昇り続けるのか判らない活躍をしたので、何時しか、女相撲ファンの間で「竜女(りゅうじょ)」と呼ばれるようになった。
また、桜田部屋は右近の活躍以外でも注目されるようになった。
後援会の会費が百万円というのは、結構な話題となり、望月もテレビのインタビューを受けることになった。
「百万円払ったら、誰でも桜田部屋の後援会に入れると考えているなら、それは考え違いですよ。紳士淑女と認められなければ入会は出来ません。日本じゃ要件を満たすのは、この私くらいでしょうな」と言っていた。
この言葉に触発されたのか、後援会会員になることへの問合せが相次いだ。
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