第三章 追跡
金沢八景は、鎌倉時代より景勝地として知られた、横浜南部に位置する海岸だったが、江戸時代より続く埋め立てによって大きく地形が変わってしまった。現在は海の公園や遊園地が造られ、都市のオアシスとして横浜市民に愛されている。
五月の週末の夕暮れに、東京湾の沖の方から海の公園に向かってオーラのような光が飛来した。その光は球形の光り輝く物体から四方八方に出ていた。
初めは羽田空港に着陸する飛行機の反射かライトかと思われたが、大きさや経路から飛行機ではないことは明らかだった。
最高の季節に恋人たちや家族連れなど多くの人が夕暮れの海岸を楽しんでいたが、不思議なことに、その光に驚き騒いでいたのはごく一部の人で、多くの人はその光を目撃することはできなかった。
更に不思議なことに、数人の目撃者が携帯のカメラでその光を撮影したが、何も写っていなかった。暫くの間、新聞や週刊誌やテレビで取り上げられたが、二週間ほどで誰も話題にしなくなった。
その不思議な光が目撃された頃、海の公園の近くの大学病院で長谷川譲は死を迎えようとしていた。