私は酒と共に倦(う)み疲れ、果ては住む家を失い、ボロ車一台で田舎の雪道をさ迷い、山陰(さんいん)の冬を過(す)ぎ越していった。寒さは一入(ひとしお)で、日に一度は湯原の露天風呂に通(かよ)った。

しかし、湯に浸(つ)かっても、かつてのように暖まることはもうなかった。それほど身も心も芯(しん)まで凍(こご)えていたのだろうか。そして、春になって行き倒(だお)れになるところを助けられ、大阪のアル中の施設に預(あず)けられた。

あれから回復の道を辿(たど)って七年、私はやっとKの墓参(はかまい)りに行けるまでになった。

八年前、Kの墓は犬挟峠(いぬばさりとうげ)の山裾(やますそ)にあって、墓土(はかつち)に立てられた白木の墓標や卒塔婆(そとうば)は、しばらくは艶(つや)やかに輝いていたが、日ごとに色褪(あ)せて黒ずみ、雨の日には暗く憂鬱な影を帯びた。

私は彼の墓を尻目(しりめ)に、独(ひと)り犬挟峠(いぬばさりとうげ)を登っていくと、彼と遊んだ蒜山(ひるぜん)高原や湯原湖のほとりを、当てどなくさ迷った。独(ひと)りで見る湯原湖は意外にも干上がっていて、どす黒い湖底を露(あら)わにしていた。

Kと遊んだ頃の湯原湖と言えば、青い湖水をたたえ、季節が梅雨(つゆ)だったせいもあって、白い霧雨(きりさめ)に煙(けむ)っていた。湖畔(こはん)のブナ林は、五月雨(さみだれ)に濡れそぼって若葉を輝かせ、巻きついた藤蔓(ふじつる)は、紫の花房を幾重にもしな垂(だ)らしていた。

車で通り抜(ぬ)けて行くと、そんな情景が白い霧の中から現われては消え、幻の世界に迷い込(こ)んだような不思議な気持ちに誘(さそ)われた。

Kはそんな心象風景(しんしょうふうけい)を私に残して、一人立ち去っていった。同じ酒を飲みながら、彼は死に、私は生き残(のこ)った。それも不思議と言えば、これほど不思議なことはなかった。ただ彼は何もかもやり尽(つ)くして、あとは死ぬだけだと言っていた。

彼は死(し)のうとして死んだのだ。しかし、私はそうではなかった。何一つやりおおせたという気がしなかった。そんな違いが二人の生死を分けたのだろうか。それにしても、彼はあまりに私によく似(に)ていたばかりか、私の夢と幻(まぼろし)を共有しようとしたほとんど唯一(ゆいいつ)の男だった。

 

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