【前回の記事を読む】「やめてください」 家まで送ってもらう車中でキスを迫られた。タクシーを降りると家までついてきて…

灰色の風が吹く

二週間後、たわいもない出来事が久美子との距離を縮めた。

久美子が買ってほしいと所望したエプロンをつけて、いつもと同じメニューの朝食の支度をしているときだった。

「ねえ、蜘蛛がいる」

生暖かい陽光を浴びた小さな蜘蛛が部屋の壁で休憩していた。

「この蜘蛛は外に逃がしてやっても、すぐにこの部屋に戻ってくるんだよ」

「私、蜘蛛が苦手なの」

結城は慣れた手つきで蜘蛛を捕まえ、窓の外に放り投げた。

「結城さんは蜘蛛を殺さないの?」

久美子が不思議そうな表情をしていた。

「俺は人とは上手に付き合えないけど、そうではない生き物とは仲よしなんだよ」

「どうして」

「だって、人はごちゃごちゃしたことを言う生き物だから面倒くさいけど、あの蜘蛛は何も言わず一生懸命に生きているだろう。食い物を見つけるのは大変だろうし、蜘蛛なりにもがいて生きているのかもしれないって思ってしまうんだ。そんな健気な姿を見ていたら、とても殺す気になんてなれないよ」

久美子は笑顔を見せた。

結城は久美子の笑顔を初めて見た。第一印象でかわいい女性だと思ったが、その笑顔には屈託のないかわいらしさを感じた。

「結城さんって、気難しい人だと思ったけど、違ったみたい」

「何だよ、それ」

「私を気遣ってくれていることは重々理解していたけど、考え込むような仕草を見せるし、何をそんなに考えているんだろうって、気になっていたの」

「まあ、いろんなことだよ。ここ数年はアルバイト生活をしているし、気楽といえば気楽な身分だけど、このままでいいのかって思うこともある。他人のことはよく見えるけど、自分のことが見えないんだ」

「わかるわ」

「人の目は外を見るためについているから、自分自身をどうやって見ていいのかがわからない。本当の自分自身って何だって思ってしまう」

久美子はうなずいた。

朝昼兼用の食事にはこれまで卵一個分の目玉焼きが出されていたが、今日は卵が二個に増えていた。