というのも、向かいは無人で、斜め上と斜め下には居住者がいるけれど、上と下には誰も住んでいなかったからだ。それに、下手にあいさつに行って前の居住者の話などされたら嫌だった。

「最近、腰が痛くてね」

私から視線をはずすと、手にしていたゴミ袋を玄関のドアの前に置いて老女は言った。

「あの、よかったら、あたし出してきましょうか。ゴミ」

とっさにそんなふうに言ってしまったのは、老女への純粋な親切心からとは言い難かった。心の底に、引っ越しのあいさつに行っていなかった後ろめたさがあった。

「そうかい。そりゃ助かるわ。なにせ、下に行くのもひと苦労なんだよ」

老女の横を通り、すでに置かれていた三つほどのゴミ袋と合わせて四つのゴミ袋を両手で持った。その一つ一つはどちらかというと小さいけれど、なにが入っているのか、ずっしり重たい。水を切っていない生ゴミでも入っているのだろうか。

半透明の袋の中を横から見ようとして、袋から落ちた水滴が階段に落ちているのに気づき、小走りに駆け下りた。

「やっぱり、若い人にお願いするのが一番だね。じゃあ、頼んだよ」

下を覗き込んだ老女が、大きな声を投げつけるように落とすと、ばたんと入り口のドアが閉まる音がした。ずっしりと重いその四つのゴミ袋を手に、私はゴミ置き場へと急いだ。

職員から頼まれたコピーをしたり、郵便の仕分けをしたりという単純作業ではあるけれど、それ以外にも雑用を頼まれることがあり、今日は廃棄書類の運搬作業をしたせいで、二の腕の辺りを酷使したとき特有の震えているような感覚が覆っていた。

駅前のスーパーで、安売りだからと買ってしまった二本三百円の牛乳のせいで、持っている左手の腕が麻痺している。五月の夕方の六時がまだ薄明るくて、そんなに暑くないのだけが救いだった。

家に向かって坂を上っているその時、ポケットのスマホが振動するのがわかった。

次回更新は12月21日(日)、11時の予定です。

 

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