写真を拡大 満州帝国概略図

一 俊介の進路面談

又二郎・由紀夫婦が仙石原村の入口、旧裏関所跡近くにこぢんまりとした旅館を開業した大正七年から時は移り、昭和という時代の幕が開けて早や五年が過ぎようとしていた。

大正四年に生まれた俊介も神奈川県立小田原中等学校四年生に進級したばかりの五月初旬の事であった。又二郎はそれ迄、仕事に追われて教育の事は義父にまかせ切り。いわゆるじいちゃんまかせの放任主義を押し通していた。

誇れる事ではなかったが、俊介が何の不満も吐かなかった事をいい事に、一度たりとも父兄会や行事に参加した事はなかったのだ。その事へのお咎めであろうか…。

「学校におんぶでだっこの本人まかせは、なりませぬ。一度面談を持ちたいものです」と担任の小林先生から、父親又二郎宛の直々の連絡箋を頂いた。

「何だと? 俊介の進路についてだと?…。幼年学校じゃああるまいに。

十五才になったら元服の年だ! 自分の進むべき道は、自分で決めているだろう。俺の親父だって学問のすすめには、理解ある教育者であっただに。

だからやれ沼中(沼津中等学校)へ進め、いや韮中(韮山中等学校)へ進んだ方が良い等とは、一言も世話を焼かなかった。実学と本人の意志を尊重したからだ。ともあれ、俊介が何かしでかしての呼び出しならともかく…、先生からの申し出だ。近々山を下って行ってくるしかないか」

それが自分勝手な言い分だという自覚もないまま、又二郎は自分の都合で決めた日取りを俊介に言付けた。

数日後、約束してあった放課後の四時近く、思いの外雑然としていた職員室の一隅で、小林先生との面談が持たれた。