序章 始めに

私の友人で私よりも若い人がバタバタ死んでいます。60歳になる前に。これはまずいのではないのか、何とか私が接した素晴らしい先生方の教えを、今の若い人々に伝えなくてはいけないのではないのか、そんな思いに駆られて書き上げたのがこの本です。

私は、学生運動の挫折感から自己探求あるいは日本文化探求といったものを追求してきました。それは学問の道ではなく実践の道として様々な師に出会い、模索し苦悶し、また奮闘し、考究する道であったと思います。

それらは武道であり、食養(マクロビオティック)であり、座禅・瞑想であり、日本ヨガであり、そしてKJ(日本的発想法)でした。これらの名前は、皆さんにとっては馴染みのないものもあるかと思います。あるいは、知っていると共感していただけるものもあるでしょう。

それらは今から考えればとても素晴らしい先生方や先輩方との出会いの道でした。よくぞ天(神)はこんな方々と出会わせて下さったという得難きご縁でした。それらの師や先輩からかけがえのない「真理」を教えていただきました。

一つ一つの道はバラバラであるように見えても、実はすべてが関連していて全体を繋げなくては見えてこない像(世界)もあります。

私たちの生きるということそのものがそうです。身体を基本としながら食なくして身体なく、身体なくして思考なく、思考なくして行動がなく、行動なくして学びがなく、学びなくして真理は見えず、そして真理なくして心が定まらないように、どれも深く関連するものです。

ですから私はどれか一つの道だけにとどまることが出来ずに様々な「道」を求め続けたのでした。