野口がドアを開けた。

そこには何と、僅か2時間前に帰った恵理が立っている。

「来ちゃった」恵理が無意識につぶやいた一言が、野口の心を大きく揺さぶった。

野口は恵理をかわいいと思っている。あまりに都合のいい展開じゃないか。野口はひょっとして告白されるのかなと期待した。

「あれ? どうしたの? また何かあったの?」

「先生に本当のことを言おうと思って」

野口は(ついに、来るぞ来るぞ)と今にも抱いてあげたい気持ちでいっぱいになった。

「もう、卒業したんだ。先生じゃないよ。野口さんでいいよ」恵理は初恋の人だが、この淡い気持ちは胸の底にあった。その思いよりも今夜は本当のことを言って泊めてもらいたい。

「野口さん、さっき私がした話は嘘なの。本当はお父さんに暴力ふるわれたから家出してきたの」性的DVとまでは言えなかった。それでも父親から暴力をふるわれたことは家出の理由としては成立するであろう。

「それはただ事じゃないな。僕が間に入って相談に乗ってあげよう」野口はあてが外れて拍子抜けになったが、いつでも相談に乗るよと言った以上、いい人になってあげようとした。

「すいません」

「それにしても、そんなに荷物持ってどこへ行くの?」野口はまだ諦めていなかった。直感で、(ひょっとして俺の家に泊まろうとしてるんじゃないの?)と思った。

「私、明日、13時出航の『おきがしま丸』で八丈島に渡ります。そして東京へ行きます。野口さんが折角世話してくださった役場の就職はしません。申し訳ないですが断ってもらえますか?」

野口は期待が外れたが、親身になり、

「俺が小川の家について行ってあげるから考え直そうよ。暴力は絶対良くないけど俺がお父さんに直接話して丸く収めたい」

「もうあの家は嫌なんです。父の顔なんて一生見たくない」

野口は(こりゃあ根が深いな。他人が入り込んでいいものか?)と思うと、二つの選択肢が頭を駆け抜ける。一方は引き続き、親身になって相談を受け、家に帰して役場も辞めないでいいように諭そうとするが、もう一方はこのまま家に泊め、明日の恵理の旅立ちを支援する。

しかし、そこに、第3の選択肢が頭をもたげた。もう、何でもいいから、恵理を自分の部屋に泊めて、男と女の関係を作りたいという煩悩だ。

「君は、就職が決まってるじゃないか。家は出ても島に残るべきだよ」

「私は役場で働いたらどうせすぐに父がやって来るに決まってます。この島は逃げるところがないんです。わかってください」

👉『赤い靴』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】電車でぐったりしていた私に声をかけてきたのは、不倫相手の妻だった

【注目記事】父は窒息死、母は凍死、長女は溺死── 家族は4人、しかし死体は三つ、靴も3足。静岡県藤市十燈荘で起きた異様すぎる一家殺害事件