【前回の記事を読む】「早く必要な物、これに入れて出なさい!」…娘との事後を平然と話す夫。このまま一緒に家にいれば、必ずまた手を出される。
第一章 壊れた家族
「恵理、あなただけで行きなさい。私はこいつの面倒を見なきゃいけないから」
「そんな。お母さんも一緒じゃなきゃダメ!」「こいつは、私がいなきゃ生きていけないんだ。こいつに人生を潰されるのはお母さんだけでいい。あなたは若い。希望を持って自由に生きてほしいの」と言うと、智子は準備をやめた。
睾丸を蹴られてのたうち回る祐一の情けない姿を見て泥酔海難事故前の優しかった祐一を思い出したからだ。あまりに現在の祐一が情けなさ過ぎる。
もういい、恵理さえ脱出させればそれでいい。自分はいつの日にか、夫への献身で昔の優しい祐一が蘇ってくること、おそらく無理だろうが、それでも一縷の望みを持って、本来の思いやりのあった祐一を取り戻させてみると決心したのだ。
自分は残る。そして、恵理の肩を押した。
「さあ、行きなさい! 自分の好きに生きなさい。私のことは考えなくていいからね」
恵理はおぼろげながら、母が家に残ることに決めた理由がわかった気がした。人としてどうしようもない父だから母が助けてあげるしかない。母には申し訳ない気持ちでいっぱいだが、同じ血が流れる母と娘だ。一卵性親子と言ってもいい。
母の思いは伝わった。父は母がいないと生きていけない。だから母は父と家に残る。そう決断したようだ。後ろめたさはあったが、とにかく父とは離れたかった。
「これ、持って行きなさい」智子は、たんすの中から、爪に火を点す思いで貯めたへそくりの入った封筒を恵理に渡した。
恵理は、バッグを持ち、就職祝いで母に買ってもらった赤い靴を履いて無言で家を飛び出した。
「お母さん、ごめんなさい」という言葉を胸に、港の方へ急ぎ足で歩いた。八丈島行きの船が出るのは明日の13時なのは知っている。この間、どこで過ごそうかと考えた。
3月の終わり。いくら東京から352キロメートル南に位置する島でも野宿には寒い。家出の初日、どこで寝泊まりするかあてもない旅立ちとなった。
港の近くには野口の住む小中学校の官舎がある。恵理は、野口の家に泊めてもらおうと思いついた。それには、本当の理由を言わなければならない。つい先程、野口の家で言ったことと違うからつじつまが合わない。
就職を折角世話してもらって、1日も勤務しないで役場を辞めることへのお詫びの気持ちもあった。
結局、もう嘘はつかず本当の家出の理由を話そうと決め野口の家のインターホンを鳴らした。