【前回記事を読む】「月」はロマンチック、「moon」は不気味? 同じ月なのに意味が違うのはなぜ?

序章 目に付く鱗

分節網

私は本書でvとbの違いをできるだけ区別することにした。バンクーバーではなくヴァンクーヴァーと。しかし本当に意味があるのだろうか。日常では下唇を噛んでまでヴァンクーヴァーなどと発音しないし、発音したところで嫌みか変人にしか思われない。

一方ビルディングのディの音は、本来の日本語にはないが識別できる。だがvとbは少々練習したくらいでは区別が付かない。どちらともbの網で掬われる。それでも地名や人名などはまだいい。

たとえばサービスをサーヴィスとわざわざ表記する意味を見いだすのは難しい。ただし既に存在しているかも知れない若い識別可能世代の手前、ここは我慢してヴィを用いることにする。

思想、哲学、そして構造主義

構造主義の代表的な思想家として、アルチュセール、ラカン、フーコー、バルトなどが挙げられる。ところがこれらの思想家ないし哲学者は、構造主義的手法を用いた人々で、構造主義そのものではない。

お恥ずかしながら私の個人的体験をお話しさせていただく。先の『悲しき熱帯』などは、素人でも気力が充実した時であれば、複雑だが理解可能だ。理解どころか感動まで与えてくれた。

ところがラカンなどの哲学書は、私のような哲学に素人の人間には原典だけでは苦しい。何らかの解説が必要だ。ちょうどアマチュアの碁打ちが、プロの対局観戦にはプロの解説が必要なのと似ている。

解説されれば、なるほどと納得するが、いざ自分で、となると糸口さえ見つからない。その原因は、それらの書が構造主義的手法を用いた哲学だからだ。哲学という専門分野だから、専門的知識や訓練が必要で、ずぶの素人には難解だ。ただしバルトの『物語の構造分析』などは私も影響を受けた一人だ。