「ええ。補償金として一か月分の家賃をお預かりする決まりだけど、解約の時にお返しします」

一月分を預けたままにするのでさえ大変だと思うけれど、いつか返ってくるのならいい。

「じゃあ、決めます」

「決めますって、あなた」

女性が、これ以上ないというくらい目を大きく見開いて私を見た。女性が慌てて、この物件については、まだいろいろ説明が必要なのよ、と付け加えるのを耳にしながら、引っ越し費用を押さえるためにはどうすればいいかを頭の後ろで考えていた。

この物件、あなたのためにちゃんと押さえておきますから、という事務員の言葉に、私はようやく賃貸借契約を交わす前に物件を見にいくことを承諾した。

すでに、今の物件を解約する連絡を済ませていて、見にいくといっても、事故物件の貸し手はそれなりの説明義務を課されているということと、引っ越しの手順を考えるためだけだった。

築年数が古いだけではなく、駅からもかなり離れていることは地図からわかっていたけれど、それだけではなく、駅から続く道はだらだらと坂道が続いていることが、実際に歩いて判明した。

川を見ながら歩く道の両側には、大きなお屋敷が建っていて、その幾つかは屋根に煙突があったり、煉瓦が全体を覆っていたりして、瀟洒という言葉がぴったり当てはまった。

それらの家がとぎれて、ゴルフ場や学校が現れ、挙げ句の果てに何段も続く急な階段を上り切ったところに、目指す物件はあった。