このあたりでやや長くはなるが、ナタリーとの馴れ初めについて語っておかねばならない。それは私がこの家に棲みついて2か月ほど経った8月の末のことであった。
このような田舎では東洋人がよほど珍しかったのか、隣家の姉弟は入れ代わり立ち代わり遠巻きに私の様子を見にやってくるようになったのだが、
「これ、虫よけにいいの」
そう言って最初にわが家へやってきたのがティナだった。
彼女は、鼻を衝く匂いを漂わせながら、もくもくとくすぶるガマの穂をもってきたのである。散々やぶ蚊に悩まされていた私は、この何とも原始的な虫よけ法であったにもかかわらず、その抜群の効果に大いに驚くとともに、このアメリカにあってもこのように素朴な蚊遣りの方法があるものかと感心したものだった。
栗色のショートヘアに大きな瞳が印象的な少女は、年甲斐もなく緊張する私を見透かしたかのように、子供とは思えないような「慈愛に満ちた視線」とともに私に向かってなおも話しかけてきたのである。
「あなたの名前は?」
「タカオ」
「あなたは中国人?」
「いや、日本人だよ」
「日本人に会うのはあなたがはじめてよ。何をしにこのウェストキャンプに来たの?」
「このあたりの美しい景色の写真を撮りに来たんだ」
「私もこのウェストキャンプの景色が好きよ」
「こんな素晴らしいところに住んでいる君たちがうらやましいよ」
「フフフ。あなたの英語、ちょっと変だけどとてもかわいく聞こえるわ」
「かわいいってどういうこと?」
「赤ちゃんが話しているみたい。大丈夫、これから私があなたの英語の先生になってあげる」
「それはありがたい」
私はこの時、素直に彼女の提案を歓迎したものだが、実際、それ以来彼女は毎日のようにわが家を訪れては、他愛もない話題を通して私に生きた会話術を教えてくれるようになったのである。
ところが、すっかり打ち解けてくると、ティナの興味は、私の黒い髪とテーブルの上に雑然と置かれていた日本の食材に移っていったようだった。そして、英会話のレッスンには何時しか、弟のレイモンドを伴って来るようになっていたのである。
私にとっては煩わしいと思える日もあったが、何よりも単純かつ、今どきの英語の表現方法などを学ぶには絶好の機会ともなっていたので、サイモン夫人には内緒で、自由に出入りさせていたのだった。当然、私は彼らにその対価として、「東洋の食べ物」をしばしば提供することとなったのだが。