丸い眼を大きく見開いて腹の底から驚嘆する。そのたびに恭平は息を飲むのだが、それが「しぇっ」と聞こえる。奇妙な音なのに本人が気づいていないと思うと、益田は可笑しくてたまらなかった。
しかし、こんなに集中できる聴き手はいないと気づいた時、益田はあらためて、この男に宿屋の亭主をさせておくのは惜しいと感じた。
「播磨屋さんは、外国や貿易にご興味をお持ちのようだね」
「面白うございますねえ。商人は、商いの匂いに魅かれるものです」
「それなら東京でも横浜でも、いや近くの神戸でも、とにかく海外との接点を見物しに行くがいい」
「そうだすなあ。宿屋稼業だけでは世間が狭くていけまへん。また、何か新しい商売をやるつもりでおます」
亭主とはいえ、いつも粗末な木綿の布子を着ている。掛けているたすきは手ぬぐいをつなぎ合わせただけだ。節約一辺倒の姿である。しかし、幕末の戦乱に乗じて大儲けした手腕家だけに、益田の話から大きな刺激を受けているようであった。
明治三年の大阪滞在は半年ほどで終わったが、明治五年に再び益田は戻ってきた。
井上馨の推薦で大蔵省四等出仕を命ぜられ、造幣権頭(ごんのかみ)、つまり造幣局の局長代理という要職に抜擢されたのである。四等官は代理公使、大佐、知事などと同格で、二十五歳としては異例の待遇である。
益田と再会した恭平は、人生を変える一冊の書と出会った。益田が評判の『西国立志編』を貸してくれたのだ。
これは明治の青年の心を熱くした本である。
序文の「天は自ら助くるものを助く」で知られ、本文には欧米の偉人約三百人の立身出世伝が綴られている。西洋流の個人主義が一貫して主張されており、要するに「やりたいことを見つけろ。その夢を目標に突進するのが人生だ。俗世のしがらみなんか気にするな」と書いてある。
明治の青年たちは旧体制の崩壊によって人生観の変革を迫られていた。その一方では、残された色々なしがらみに縛られての苦労もある。しかし「そんなものは気にするな」とこの本に説得されて、初めて新時代の指針を手に入れたのである。
恭平の心にも火が付いた。
「俺の夢はなんだ。この播磨屋の身代を大きくすることが、本当に俺の夢なのか」