夜空の向日葵

「体に気をつけてね。ちゃんと食べるのよ」

大学三年になった息子は、実験が忙しくなり、夜遅く帰ることも、時には研究室に泊まり込むこともあった。家計を気にして家から通ってくれていたけれど、それも限界に達して、四年になったタイミングで大学の近くに一人暮らしをすることになった。

「行ってくるよ、母さん」

息子の横顔が一瞬、十年前に亡くなった夫の横顔に重なった。

友人の実家から借りたという軽トラのドアがばたんと閉まる音がして、家財道具と布団を乗せた車は角を曲がってあっという間に見えなくなった。

「母さんも、体に気をつけろよ」

去り際に息子が残した言葉を頭の中で反芻する。息子の顔はうつむいていたけれど、心なしか声が震えていたのは気のせいではないと思う。この年齢で一人暮らしを始めれば、もう、息子は戻ってくることはあるまい。

私の胸のどこかでことりと音がした。苦しいとか切ないとかいった類の感情が通り過ぎて、それを振り切るように顔を上げると、いつの間にかすっかり葉桜に姿を変えた桜が、午前の少し冷たい風に揺れているのが見えた。

ドアを閉めて廊下に入ると、右側にある息子の部屋はすっかり空っぽだ。白かったはずの壁は茶色く変色して、ひびさえ入っている。

アパートを借りた十数年前でさえかなり古かったけれど、あちこち壊れてもう住むには限界だと思われる今でさえ、家賃は立派な金額だ。

つい、数時間前まで、息子のベッドが、机が、家財道具が並んでいた部屋には、もうなにもない。あー、と声を出すと、部屋の壁にぶつかって、ひらひらと舞い落ちる。

もともとそんな模様だったのか、経年劣化のせいなのか、薄茶色いふすまを開けると、一間ほどの押し入れで、赤茶けた新聞紙が敷かれたままだ。水浴びをする子どもの写真が掲載された新聞を手にすると、私は思わずあっと声をあげた。