【前回記事を読む】「下着に赤いものを見つけた」その日から、男兄弟の前で「一人前の女になったくせに」と叱られるように…
「もはや戦後ではない」
後年、大学で児童文学の授業を受けた際、教授が子供の視点を示す例として、アンデルセンが書いた物語を取り上げたことがあった。
「ある少年が、町で一番高い塔に初めて上った。そこから町を見下ろして、興奮した少年は叫んだ。『すごいぞ、町の人が、みんな僕のほうを見ている』と」
この例話を聞きながら、千津は少年の姿に、かつての自分を見つけたかのように重ねていた。いつも大声で話し、相手の気持ちを考えない母親のことも恥ずかしく思っていた。つねは、千津がぐずぐずしていると、
「てばてばしな(早くしな)」
と、いつもせかした。
町内で集まりがあった後、女や子供たちで食堂に出かけたことがあった。幹事役のつねが、みんなの注文を取りまとめていた。
「何にする? おめえも支那そばでいいか」
と千津にも問いかけた。迷いながら千津が、
「ラーメンがいい」
と答えると、イライラしていたつねは、
「ラーメンも支那そばも同じだ!」
と、大きな声で言った。
周りにいた者がどっと笑った。千津は、その場から消えてしまいたい気持ちにかられた。
大通り商店街で、母親の姿を見かけた時は、急いで身を隠すようになった。そして何より、自分自身のことが気に入らず嫌だった。毎日、鏡の前でいろんな表情をしてみる。笑った顔、プンとした顔、どういう角度なら可愛く見えるのか。だがどうやってみても、吹き出物が目立ってきた顔に満足することはできなかった。
少女から大人へと、身体が成長するのに伴い顔の輪郭も少しずつ変化を見せ、ふっくらと柔らかだった頬が落ちて、二重の眼が目立っていた。姉のスミは、千津を正面から見すえて、「へんてこりんな顔」と言った。
教室の中庭を挟んだ反対側には、運動部の部室があった。野球が大人気で、対外試合がある時は全校生徒で応援に出かけた。
同級生の保の兄は、投手で四番打者であり、女子の憧れの的だった。
休み時間になると、女の子たちはおしゃべりしながらさりげなく、部員たちが上半身裸になり着替えをしている野球部の部室をうかがっていた。