【前回の記事を読む】彼女の笑顔から、少しずつ色が消えていった――気づいたときには、もう遅すぎた

第三章 崩壊の予感

それから彼女は次第に口数を減らしていった。休日も外出の提案をすることはなくなり、代わりに家の中で古びた本を読み、柔らかい音楽を静かに流す時間が増えた。以前の彼女は「この映画を観たい」「こんな料理を作ってみたい」と小さな未来を手渡すように語っていたのに、その声はもう聞こえなくなった。

ある日、彼女が学生時代のアルバムを開いていたことがあった。友人たちと肩を寄せ合って笑い合う写真。僕が近づくと、彼女は慌ててアルバムを閉じて「何でもない」と言った。しかしその一瞬、彼女の目の奥に宿った寂しさを、僕は見逃さなかった。見なかったふりをしたと言った方が正しいのかもしれない。

子どもの話題が再び持ち上がったのは、そんな静かな日々の中だった。夕食後、食器を片づけながら、彼女は流れる水音に溶け込むように小さくつぶやいた。

「もし子どもがいたら、私たち、もっと変われるのかな」

僕はまた同じ答えを繰り返した。

「まだ早い。今は仕事に集中すべきだし、もう少し余裕ができてからでないと」

彼女は何も言わずに皿を洗い続けた。水道の水がシンクに落ちる音が、遠い滝の轟きのように部屋を満たした。僕は彼女の背中を見つめながら、なぜか深い井戸を覗き込むような感覚に襲われた。その背中は、底の見えない闇に覆われているように見えた。

その頃、僕の生活は仕事に飲み込まれていた。会社での残業が常態化し、帰宅は深夜になることも増えた。玄関を開けると、部屋は暗く、彼女はすでに寝室で眠っている。テーブルの上には、ラップをかけられた冷めた夕食がぽつんと置かれていた。その光景を目にするたびに、なぜか胸の奥で苛立ちが芽生えた。

「どうして起きて待っていてくれないんだろう」

そんな身勝手な思いが、刃のように胸を横切った。
翌朝、僕が不満を口にすると、彼女は小さくうなずいただけだった。そこに笑顔はなかった。

ある晩、何気なく気づいたことがあった。彼女は僕と話すとき、もはや一度も笑わないのだ。笑顔はすべて外の世界へ向けられている。隣人や職場の同僚、買い物先の店員に向けられる笑顔はまだ残っていた。けれど僕の前には、疲れ切った横顔と、乾いた瞳だけがあった。僕は知らぬ間に、彼女から光を盗み去ってしまったのかもしれなかった。

「私、少し疲れてるの」

それは秋の夜、窓の外で虫の声が絶え間なく続いていたときのことだった。彼女はぽつりとそう言った。

「何に疲れてるんだ?」

「全部に」

それ以上、彼女は言葉を足さなかった。その声は砂の中に吸い込まれ、もう二度と戻ってこないように思えた。僕は返す言葉を持たなかった。

それでもなお、僕は自分が正しいと信じ続けていた。塩分を控えることも、将来の計画を立てることも、夜更かしを避けることも。すべては彼女を守るためだと自分に言い聞かせていた。だが、守ることと縛ることの境界線に、僕は一度も目を向けなかった。

笑顔のない食卓は、まるで味を失ったスープのようだった。火を入れて温め直しても、決して美味しくはならない。僕らは無言で食事を続け、空っぽの皿と沈黙だけがテーブルに残った。

崩壊はまだ表面化していなかった。だが、それは確実に近づいていた。僕らの足元の床下で、静かに木材を食い荒らす白蟻のように。見えないところで、確実にすべてが侵されていたのだ。